読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

並河亮『ウィリアム・ブレイク 芸術と思想』(原書房 1978)

合理主義を超えて世界の真実を説こうとしたブレイク、そして天地創造はあらゆるものを分裂させてそれをFall(降下)させてしまった神の過ちで、それを回復するのは唯一キリストのみと考えるブレイク。影響を受けたスウェーデンボルグやダンテやミルトンにさえも、階層的で権威的な構造を後に感じるとサタンと罵るようになるウィリアム・ブレイク。生前は狂人というレッテルを貼られまともに相手にされず、死後も後期預言書については第二次世界大戦後を待たなければ本格的に論じられることもなかったウィリアム・ブレイク。それは、前期の『無垢と経験の歌』から『天国と地獄の結婚』にいたるまでの抒情的で印象的な表現がひとつの世界として像を結びやすかったのに比べ、後期の預言書がブレイクが幻視したというビジョンを理論化することも体系化することもなく溢れ出るがままに拡げてこれこそが真実と投げつけた渾沌とした神話であるため、標準的な読者層にとっては理解しがたいばかりか読み通すだけでも非常な努力を要するものであったためのようだ。詩とともにブレイクの神話世界を表現している銅版画作品にあっても、描かれた対象の特定が困難で、描かれた姿が持つ意味もまた見るものによって大きな解釈の違いが出て、学術的にも標準的な解釈が構成されるにいたっていないという難物である。後期預言書の面妖さに比べて前期抒情作品の開かれた鮮烈さに大方の関心が向くのも無理ないことである。
21世紀の原題においても状況が劇的に変わっていることはないようで、後期預言書を中心にブレイク研究し紹介した著作が新しく刊行されているという記事にはなかなか出会わない。そのようなブレイク研究の状況の中で、大学に属するブレイク研究のお専門家でもない日本の作家兼評論家の並河亮が、高度な探究と整理された読解を独力で半世紀近くも前に世に示していたということは、今もって驚嘆に値すると思う。ブレイクの預言書は、手引きがなければチャレンジすることも難しい、容易な開拓を拒む孤高の荒地に単身乗り込んで、古代神秘思想から現代の先端哲学ま概観し、ブレイクの妄想に限りなく近い真理観を極めて平静に叙述し、ことの判断は読者にゆだねるという、きわめて冷静な態度は、ブレイクの極端な判断を強いる世界観への誘いとともに存在することで、ブレイクを読むことの複雑さを、退路を断つようにして示している。

日本のブレイク読者は全著作個人全訳の梅津濟美とともに、ブレイク伝道者である並河亮が日本に存在したことを誇りに思うべきであろう。峻峰ブレイクの登山ルートを示した偉大なる先行者ふたりである。

ほかに読むべきものがあるなかで、分かりにくいものをあえて読む必要もないことは承知しているつもりではあるが、変った考え方に触れて分かってみたいという欲望は、叶えられなければしつこく付き纏ってくるものでもある。また、先行する日本のブレイク読者の面々の残された文章を読む限りでは、読まずにおくという選択肢が消されるほどのブレイク遭遇体験が残されているので、捉えがたく受け入れがたくもありそうではあるが、いったん目にしたならば、看過できない光と影の独自のコントラストが織りなすブレイクの神話的世界は容易に頭から離れない。ブレイク独自の神話世界をかたちづくる固有名詞からは、こちらから呼びかけたまま応答が十分に返ってこない状態がいつまでもつづくのではあるが、、、

ブレイクの神話世界の謎に捉えられて身動きが取れなくなるというところまではいたらないにしろ、未消化のままの神話的人物、たとえばアルビオンやユリゼンやロスといったブレイクならではの世界観の人物は、ずっと解消されずに、読み書きの時空間の中に残りつづける。

「過誤が創造された。しかし真理は永遠である。過誤または創造は、やがて焼き尽くされ、しかる後に真理と永遠があらわあれる。」(「最後の審判の幻像」)「預言書」のアルビオンは、あらゆるものを分離し、神と人、キリストと人、光と闇、正と不正、善と悪、生と死の二元対立をつくり出した。来たらせねばならぬのは天国と地獄の結婚である、とブレイクは考える。
(第三章 ブレイクの「預言書」における預言の意味 3「ブレイクにおける黙示の新しい意味」より)

ブレイクはキリストに倣い、人を裁く思想に敏感に反応しそれを嫌悪し拒否する。しかし、その拒否の姿勢において、人を裁こうとする最後の審判の姿勢は、いつも、いつまでも、ブレイクの思考のなかに残存する。

【付箋箇所】
17, 18, 25, 31, 37, 39, 40, 41, 66, 79 86, 94, 96, 100, 104, 106, 123, 127, 139, 154, 156, 173, 186, 192, 199, 200, 202, 218, 234, 238, 266, 274, 279, 309, 311, 348, 358, 375, 379, 389, 399, 430, 434, 439


目次:
まえがき
序 章 ブレイク研究の長い道程
第一章 彼の詩と絵画における幻像と表現
第二章 象徴に託された意味と思想
第三章 ブレイクの「預言書」における預言の意味


ウィリアム・ブレイク
1757 - 1827
並河亮
1905 - 1984
梅津濟美
1917 - 1996