読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

小海永二訳『アンリ・ミショー全集』1(青土社 1987)

いままでアンリ・ミショーとの相性が私はあまりよくなかったのだが、今回はどういうわけかミショーの作品に乗ることができた。

様々なところで良いといわれているミショーの詩作品に全部目を通してみようと思い立って、小海永二個人全訳の『アンリ・ミショー全集』の第一巻を取り寄せたところ、思いもよらぬ分厚さ、全931ページ。『わが領土』『夜動く』『プリュームという男』『遠き内部』『試練・悪魔祓い』『われら今も二人』『襞の中の人生』の七冊分が序文も含めて完本収録されている(だたしミショーが独自に作り上げた言語で書かれた数作品については翻訳不能ということで、二三のサンプルが言語のまま収録されている)。詩選集と違って、最初期の作品から順を追ってすべて眼をとおせるところ、詩人自身の序文によって奇妙と表現されることの多いミショーの詩への導入がスムースに行われていること、詩人自身のあとがきによって詩がいかなる状態でいかにして書かれたかが説明されていること、それらがよい受容の態勢をつくりあげてくれている。そして、何より隙なくくりだされる作品の量塊が、詩人の詩作の必然性を納得させてくれて、ミショーの詩の魅力の一端に触れ得たと感じさせてくれたのだと思う。冷たいマグマが絶えなく流れ出てくるような恐ろしさと美しさを兼ね備えた詩の感触。社会からの落伍者として烙印を押され責めさいなまれるところがら生まれる弱者の抵抗の戦略とその実践としての反社会的な創作、表現。弱者として取りうる戦略は、自分自身を傷つけ危険にさらしながらも他者を混乱させ、しぶとく生きつづけることを可能にする。ひとつの作品ごとに、変容をくりかえし、新たな生息場所を見出しているのが、ミショーの詩の実践であるようである。

ああ、遂に! 大事なことが果された。常に人間であり続けるための地獄の努力から、わたしは今こそ解放された。
わたしの肉体は、今や、長くほっそりしたその脚の上に横たわり、なんという喜びに満ちあふれ、その渉禽類の脚の上で静かにうねり曲がっていることか。
(『襞の中の人生』Ⅱ幻像たち「何という工場!」より)

第一巻には、糸人間やメードザンと呼ばれるミショーが創りあげた半人間が登場する詩作品も収められていて、アンフォルメルの先駆けと位置付けされもする、画家でもあるミショーの絵の読解への通路にもなっている。

巻末の150ページに関しては、訳者小海永二が折々に綴ったミショー論が年代順に収められていて、こちらもアンリ・ミショーの全体像理解におおいに手を貸してくれている。

 

【付箋箇所】
13, 36, 54, 57, 61, 126, 159, 204, 224, 253, 300, 368, 424, 467, 523, 545, 554, 564, 600, 603, 628, 642, 660, 663, 694, 701, 710, 722, 750, 810, 812, 816, 824, 835, 838, 841, 898, 916, 917、

アンリ・ミショー
1899 - 1984
小海永二
1931 - 2015