読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

高橋睦郎『深きより 二十七の聲』(思潮社 2020)

西欧の詩歌が輸入される以前の日本の旧体の詩歌がいかなるものか、またいかなる人たちの手になるものか、降霊術の体裁を借りた故人の語りを詩として提示した後に、高橋睦郎による詩人の評釈が加えられ、日本の詩歌の頂きを過去から現代へ向けて、ほつりほつりと辿りなおされていく。呼び寄せられる詩人は和歌から漢詩や劇詩の領域にまでわたり、あらゆる詩型に実作者としてかかわる高橋睦郎ならではのラインナップとなっている。高橋睦郎の詩想に宿り仮の語りを行った人物は二十七名。稗田阿禮、額田王柿本人麻呂大伴家持小野小町在原業平菅原道真紀貫之藤原道綱母紫式部和泉式部清少納言鴨長明西行法師、藤原定家後鳥羽院宮内卿式子内親王、源實朝、京極為兼、世阿彌、一休宗純、宗祇、芭蕉近松門左衛門、蕪村、河竹默阿彌。京極為兼以降の人選が特徴的か。直接対面することのなかった詩歌の歴史をかたちづくっている人物たちに加えて、生前親交のあった三島由紀夫と森田必勝を呼び寄せ私語りをさせ仮の対話を行って、一冊の本としてまとめ上げている構成も見事。すこしも神秘的ではない語りのなかで、詩歌文芸の神秘や常ならぬ妙味を浮き立たせているところに、練熟の技を感じさせる。

歌を詠むわたくしは 詠むごとにわたくしをわたくしを脱いで透きとほり
つひに残つたのは歌のうつは たとへていふなら一管(いちくわん)の篠笛(しのぶえ)
 (中略)
わたくしを出た歌はわが名をまとひつつ 名からいよいよ自由に
男・女(をとこをみな)の境を超えて生きつづけよう 百(もも)とせ・千(ち)とせののちを
(「十八 たとへば篠笛 式子内親王」より ※実際の表記は正字正仮名)

現実の詠い手の存在が後退し、伝統のなかで創作された詩歌が文字とともに浮上する。作り手も読み手も詩歌のつらなりのなかで一時高揚し、ゆっくり変容し、名のないものを何重にも身にまとうようになり、機縁があれば新たな響きを響かせ、雌雄なき言葉として紙の上に生きつづけ、ひそかに増殖しつづける。

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【付箋箇所】
栞:8, 13
本篇:14, 15, 25, 27, 31, 33, 36, 37, 39, 42, 49, 51, 54, 57, 61, 93, 109, 115, 117, 141, 147, 159, 170, 176, 178


高橋睦郎
1937 -