1914年19歳の時から詩作をはじめ、1925年30歳で自ら命を絶つまでの約10年間が詩人の活動期間。本書は初期詩篇として3篇が採られた以外は、1922年以降のアルコール中毒と奇行ともめ事のなかで創られた破滅に向かう自己憐憫と呪いと自己嘲笑に満ちた哀れな抒情詩。つねに更なる転落の一歩手前にいるために平穏さのかけらも見えてこない心象の表白に関心が向いてしまう。作品の質自体も死に向かう数年間のものがよかったらしく、訳者内村剛介による作品選択はおそらく妥当なものなのであろうが、作品自体が読まれることを望むがあまり、エセーニンの人物像や詩作の展開などの解説めいたものが簡単な年譜を除けば一切ないのには、少し戸惑いも感じた。
ウィキペディアに比較的詳細な情報が載っているので、それを参照しながら詩が創られた背景にもおもいをはせることは可能。30年の生涯で5度の結婚、少なくとも4人の子供を持ったというのに、自分のことばかり詠っているのは、ある意味すごく正直なのかもしれない。錯綜した現実から逃げるような姿を純粋に歌って形よく仕上げているところに人気が出てくるのも分からないではない。
平穏に 無事に にこやかに 生きるなんて!
かえりみるわが道のとぼしくて、
しでかしたあやまちのそのかずかず。けったいな来し方 わらうべきいさかい。
そうであったし これからもそうだろ。
園は墓地に似て 散り敷くものは
白樺とも見る しゃぶり散じた骨々。
エセーニンはソヴィエト共産党と対立する社会革命党の党員であったところから、政治的な詩も書いたことがあるのであろうが、その辺のところはあまりよく見えてこない。革命後の荒廃した世の中に対する漠然とした失望の詩のいくつかが見て取れるくらい。
【付箋箇所】
15, 22, 23, 47, 58, 73, 74, 78, 91, 97
セルゲイ・エセーニン
1895 - 1925
ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ・マヤコフスキー
1893 - 1930
内村剛介
1920 - 2009