ルイス・キャロル晩年の長編小説。妖精世界と現実世界の往還記で、語り手が眠気に似た妖氛に包まれると妖精の世界に入り、妖氛が消えると現実世界に戻るという仕組み。現実世界のほうでは語り手の友人アーサーの恋愛譚が軸となって展開しているのでストーリーを追う楽しみもあるが、妖精世界の話は飛び飛びでつじつまの合わないようなところも多いナンセンス譚なので、乗りつつ冷めている異次元の言語感覚を唖然としながら楽しむという受け取り方がよい。物語の規則を知りつつ気負うことなく反古にしてしまう軽やかさ、重さを量りつつ取り去るようにして読むことを誘っている、すこし大人向けのおとぎ話。ハリー・ファーニスが手掛けた挿絵はほとんどが妖精世界側のもので、ナンセンスな場面を視覚の面から増強して伝えてくれていて、味わい深い。
1976年にれんが書房新社から刊行された『シルヴィーとブルーノ』をちくま文庫からの再刊行にあたって訳者の柳瀬尚記はだいぶ手を入れたらしいが、同時期にジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の全訳もしていたようで、造語の多い英語原著に忠実に説明文なしで日本語に移しかえるアクロバティックな翻訳は、冴えに冴えている。巻末の訳註からその独自の翻訳姿勢が見えてくるところも、本書の読みどころのひとつであろう。
ルイス・キャロル
1832 - 1898
柳瀬尚記
1943 - 2016