徳川の支配の仕組みに組み込まれた宗門を批判的に見る清らかさはあったが、僧としての資質には傷があったという視点から良寛が語られている。曹洞宗の僧良寛というよりも、家を捨て、宗門を捨て、文芸に生きようとした人間山本栄蔵の一生を、父以南と弟由之の没落とともに描いた優れた伝記作品だと思う。
地方のインテリ一家が、音をたててくずれている。以南の放浪、兄栄蔵の出家、弟香の早逝、以南の自殺。何ひとつとっても暗い山本家の陥没だ。(中略)栄蔵の出家も、以南の放浪も、由之の失墜もどこか似ており、三人とも遁世的で、詩歌の道が楽しかった。もともと、文人筋の血脈で、世をわたるに才を発揮し、財をなし、名誉を得る仁を生まなかった。(p253)
良寛はあくまで己を堂外において、師をして任運騰々、良や寛しといわしめる落ちこぼれに終始した。それ故杖一本もらって旅立たねばならない仕儀となった。(中略)もはや、己はどこかの野辺で果てるしかあるまい。ここには、得度受戒した禅坊主の気概はなく、名主見習の昼行燈といわれたなまけ男の溜息があるばかり。この挫折感が、父の死を前後に、文芸へ脱進させる。(p289)
こちらは良寛自身の詩。
展轉總是空 展転すべてこれ空
空中且有我 空中しばらくわれあり
すべてこれ空。そうではあるが、詩書があり、経典があり、古の書物があり、それらに作られ、それらを手放せなかった良寛がいる。文芸でつながる地元や家族との関係に時に支えられながら、自分の資質のまま七十四年を生ききった良寛。詩歌に嘉された良寛。
その弱さゆえに強く、愚かさゆえに秀でた一生を水上勉が愛情とともに明晰に描ききっている。