紀貫之の歌といえば「水底」がまず思い浮かぶが、数を気にする紀貫之というのも結構気になっている。
033 いかにして数を知らまし落ちたぎつ滝の水脈よりぬくる白玉
056 数ふればおぼつかなきをわが宿の梅こそ春の数は知るらめ
064 幾代へし磯部の松ぞむかしより立ちよる波や数は知るらん
162 吹く風にあかず思ひて裏波の数には君が年を寄せける
165 君が代の年の数をば白妙の浜のまさごとたれかいひけん
185 散るうへに散りしつもればもみぢ葉をひろふ数こそ知られざりけれ
273 常夏の花をし見ればうちはへてすぐす月日の数も知られず
434 つもりぬる年はおほかれど天の川君が渡れる数ぞすくなき
472 わが宿の池にのみ住む鶴なれば千歳の夏の数は知るらん
557 百羽掻き羽掻く鴫もわがごとく朝わびしき数はまさらじ
616 降る雪を雪と見なくに人しれずもの思ふときの数まさりけり
619 萩の葉の色づく秋をいたづらにあまた数へてすぐしつるかな
685 年ごとに花しにほへばかぞへつつ君が千代まで祈らんとぞ思ふ
693 たが年の数とかは見る行きかひて千鳥鳴くなる浜のまさごを
長寿祝賀の歌も含まれ、定型の修辞というところもあるだろうが、直接「数」という言葉を用いている回数はほかの歌人に比べて多いような気がする。量的なものが気になっている紀貫之というイメージ。
※歌の前の番号は貫之集での通番。
※引用は木村正中校注 新潮日本古典集成 『土佐日記 貫之集』から
紀貫之
872 -945