読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アラン『幸福論』(1925, 1928, 2011)

筋肉を伸ばし、あくびをすることが、幸福であることは、誰でもよく知っている。(85「医者プラトン」p242)

上機嫌の作法を広めようとしている齋藤孝にも連なるような幸福論。思考言語のストレッチが気持ちいい。味わい深い93の断章。

根本的には、上機嫌などというものは存在しない。正しくいえば、気分というものは、いつでも悪いものだ。そして、あらゆる幸福は、意志と自制とでできている。(93「誓うべし」p263)

礼儀の習慣は、われわれの考えに対してなかなか有力である。楽しさ・親切・喜びなどをまねるなら、それは不機嫌や、胃病に対してさえも、少なからず救いとなる。こういう運動―頭を下げることや、にこにこすること―は、その反対の運動―腹立ち・疑い・悲しみ―を不可能にするという長所がある。だからこそ社交や訪問、儀式や祝祭がいつでも喜ばれるのである。それは幸福をまねる機会である。そしてこの種の喜劇は、われわれを確実に悲劇から解放するものだ。これは、つまらぬことではない。(16「態度」p50)

じっとしていないで何かを実践してみること。まずは、陽性の態度をまねてみることの大切さが強調されている。

折にふれて読み返すべき言葉たち。

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アラン(本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ)
1868 - 1951
石川湧
1906 - 1976