稲越功一の木の写真についてのキャプション。自然を切りとるフレームに対する感性という指摘。
わびさびは、単にある一定の特徴を備えた手つかずの自然のことではない。人は、それに際立った文脈を与え、それを少なくとも「フレームに入れる・構成する」取り持ちをせねばならない。写真は、そのようなフレームを提供する。(p96-97)
レナード・コーレンのわびさびに関する文章が、モノクロームの写真とあいまって、静かな生成と消滅の世界を切り出している。芭蕉の「造化にしたがひ造化にかへれ」という言葉も思い浮かんでくる。
宇宙は消滅する一方で生成もする。新しいものは無から生じる。(中略)わびさびの表現においては、多分に恣意的ではあるが、消滅のダイナミクスの場合はほとんどの場合少し暗く、曖昧で、静寂なものの中に表れる傾向にある。生成しているものは少し明るく、輝きがあり、明快で、若干目に止まりやすい。そして(西洋圏においては何もない空間である)無は可能性に満ち溢れている。形而上学的な表現で言えばわびさびは、宇宙が潜在的可能性に近づいたり遠ざかったりして常に動いていることを伝えている。(「わびさびの形而上的原理」p45)
目次:
イントロダクション
歴史的視点等からの考察
曖昧化の歴史
暫定的な定義
モダニズムとの比較
歴史的概略
わびさびの宇宙
チャート
わびさびの形而上的原理
わびさびの精神的価値
わびさびの心
わびさびの道徳的戒律
わびさびの物質的特性
Making“わびさび"
わびさびをつくる
理論的概念としてのわびさび
なぜわびさびが重要なのか?
注釈
写真キャプションとクレジット
巻末エッセイ
歌手ということで唄も聴いてみた。
レナード・コーエンの唄。
こちらはわびさびの世界というよりも、こじんまりとした焚火(キャンプファイア)を囲んでいる世界のようだった。禅の世界ではなく神がいる世界の唄。
レナード・コーエン
1934 - 2016