読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

R.A.ダール『現代政治分析』(原書 初版1963. 5版1991, 訳書1999, 2012)

正統性を得た者の政治的活動コストは安くなる。

 政治システムの指導者は、紛争の処理にあたって政府の諸手段を用いるとき、つねにその決定が暴力、刑罰あるいは強制への恐怖からだけではなく、倫理的に見て正しくかつ適切であるという信念からも、広く容認されるように努める。ある用語法にしたがえば、<政府>の構造、手続き、行為、決定、政策、官吏、指導者などが「正しさ」、適切さ、倫理的善などの性質を備えている――ひと口にいえば拘束力ある決定を行う権利をもつ――と命令を受ける側の人びとが信じるとき、その<政府>は「正統的」とされる。したがって、私たちの第五の命題は、「政治システムの指導者は、自らの行為に正統性を獲得しようと努める」というのと等しい。
 指導者の影響力が正統性という衣をまとったとき、それは、通常、権威として扱われる。したがって権威は、影響力の特殊な形態、すなわち正統的な影響力である。それゆえ、第五の命題はまた、「政治システムの指導者は、自らの影響力を権威に転化しようとする」といいかえることができる。政治指導者はしばしばそれに成功するがゆえに、正統性は広くゆきわたった重要な現象である。[広い領域にわたって好奇心を燃やしたマックス・ウェーバーのような学者が正統性の研究に没頭したのは、明らかに、正統性をもたない権力は非常にまれで研究に値しないと信じたからにほかならない。](引用者注:[]内は5版では削除)
 指導者たちがなぜ正統性の獲得に励むかは、たやすく理解できる。権威は高度に効率のよい影響力の形態なのである。
(第5章「政治システム―共通性」p114-115 太字は実際は傍点)

 

政権を握っているかどうかは線形分離可能な問題、正統性は支持率と同じで非線形の確率的な問題に近いだろう。正統性に関しては極端にゼロや百に近くなると暴力的な排除が起こってしまいそうなので、愚かしさを少し許容できる程度の比率に収まっていたほうが気は楽だ。

ほかには第10章で功利主義とジョン・ロールズの正義論について議論されていて興味深い。岩波現代文庫で3月から3冊、ロールズの本が連続して刊行されているのだが、最寄り駅付近のこの状況下でも開けてくれている本屋には残念ながら置いてなかった。誰かが購入した後だったのかもしれないなあと思うことにして、他の本を何冊か買って帰った。

 

目次:
第1章 政治とはなにか
第2章 影響力を記述する
第3章 影響力を解釈する
第4章 影響力を説明し評価する
第5章 政治システム―共通性
第6章 政治システム―違い
第7章 違い―ポリアーキーと非ポリアーキー
第8章 ポリアーキーと非ポリアーキー―説明
第9章 政治的人間
第10章 政治的評価
第11章 政策の選択―研究と決定の戦略

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ロバート・アラン・ダール
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