読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』(原書1819, 中央公論社 西尾幹二訳1978)

ショーペンハウアー三十一歳の時に刊行された主著。とりあえず通読完了。厭世哲学といわれることも多いが、実作の印象はだいぶ異なる。外部なき世界を思索の対象としている哲学者ショーペンハウアーの根本は、ペシミズムもオプティミズムも超えて「世界はただそうある」ということを認識として表現することにある。行動力があり攻撃的で自愛が強い人間性なので、いつも口が悪いということは否めないが、基本的に知の世界の人、知性優位の人であることは間違いない。自分の感情よりも世界認識をベースに著述をする人だ。

作品の枠組みと認識の核心部分は、すべては題名に込められている。ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』。

スピノザ的にいいかえれば『実体と様態としての世界』。

カント的にいいかえれば『物自体と現象としての世界』。

射程が広い。外部なき全世界だ。

大部の著作なので、今後長期スパンで咀嚼していきたい。いまは読者としてちょっと息が上がっている状態。

意志は、「個体化の原理」である時間と空間の外に、すなわち数多性の可能性の外にあるものとしての一者なのである。意志の様々な現象ならびに意志の多様な顕在化についてこれから考察を進めていき、意志が一つであることがわれわれに完全に判明したあかつきに、われわれははじめてカントのあの教え、時間、空間、因果性は物自体に属するのではなしに、認識の単なる形式にすぎないというあの教えをも存分に理解することになるであろう。(第二巻「意志としての世界の第一考察 すなわち意志の客観化」第二十三節「意志は現象の形式から自由である。意志は動物の本能、植物の運動、無機的自然界のあらゆる力のうちに盲目的に活動している。意志の活動に動機や認識は必要ではない。」:中公クラシックス『意志と表象としての世界 Ⅰ』p250, 中央公論社 世界の名著45『ショーペンハウアー』p266)

 

アルトゥール・ショーペンハウアー
1788 - 1860
西尾幹二
1935 -