読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジグムント・バウマン『コラテラル・ダメージ グローバル時代の巻き添え被害』(原書2011, 訳書2011)

どのくらいの不安と危機感をもつのが適当なのかわからないときに、少なくとも過剰な自己責任論に押しつぶされないような情報を与えてくれる一冊。

福祉国家」体制が次第に廃棄され、消滅していく一方、かつて事業活動や市場の自由な競争とその悲惨な結末に課せられていた制約は次々と撤廃されていった。国家の保護機能はしだいに弱まり、失業者や障害者などのマイノリティを守れなくなったが、そのマイノリティの問題ですら「社会的なケアの問題」から「法と秩序の問題」に分類し直されている。すなわち、市場のゲームに参加できないことが犯罪視されつつあるのだ。国家はしだいに自由な市場の論理(あるいは不合理)から生じる脆弱性や不確実性に対処しなくなり、それらを自己責任や個人的な問題、すなわち自前の資源によって対処し、乗り切るべきプライベートな問題だと規定し直している。ウルリッヒ・ベックが述べているように、個人は今や制度の矛盾を自力で解決するよう求められているのだ。(第8章「近代のアテネに古代エルサレムの疑問への回答を求める」p198-199)。

ジグムント・バウマンは「リキッド・モダニティ」という概念の提唱者。不安定で液状化した社会としての現代を分析する社会学者。

ウルリッヒ・ベックは「リスク社会」という概念の提唱者。


目次:
第1章 アゴラから市場へ
第2章 コミュニズムへの挽歌
第3章 リキッド・モダンの時代の社会的不平等の運命
第4章 見知らぬ人間は本当に危険か?
第5章 消費主義と道徳
第6章 プライバシー、秘密、親密性、人間の絆など―リキッド・モダンの巻き添え被害者
第7章 運と対策の個人化
第8章 近代のアテネに古代エルサレムの疑問への回答を求める
第9章 悪の自然誌
第10章 われわれのような貧しい人間
第11章 社会学―どこからどこへ?

青土社 ||哲学/思想/言語:コラテラル・ダメージ

ジグムント・バウマン
1925 - 2017

ウルリッヒ・ベック
1944 - 2015

伊藤茂