読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【唐詩選】王建(768-830)「水夫謡」 訳:筧文生

生涯でひとつでも辞書に残るような言葉を残せたら、文学好きにとっては本望だろう。
 
淼淼
 
びょうびょう
 
「水がはてしなくつづくさま」ということで平面的な意味が強いようだが、水が三つ重なった形が二つ並んだ様は、水の量感をずっしりと感じさせてくれる。空海(774-835)も「淼淼辯泉与蒼海以沸涌」と「三教指帰」の中で使用しているようで、レプリカを拡大したうえで壁に貼ってしばらく眺めていたい。そしてからっぽの頭の中に「淼」の字を浮き上がらせ増殖させてみたい。

 

苦しい哉 成長 駅辺に当る
官家 我をして駅船を牽かしむ
辛苦の日は多くして楽日は少なく
水に宿し沙を行くこと海鳥の如し
風に逆らい水を上りて 万斛重く
前駅 迢迢として 後は淼淼たり
半夜 堤に縁(そ)うて雪は雨に和し
他の駆遣を受けて 還復(なおまた) 去(ゆ)く
夜寒く 衣(い)湿りて 短蓑(たんさ)を被(か)け
臆(むね)穿ち足裂けて 痛みを忍ぶを何(いか)んせん
明に到りて 辛苦 説く処無し
声を斉(そろ)え 騰踏す 牽船の歌
一間(いっけん)の茆屋(ぼうおく) 何の値する所ぞ
父母の郷 去るを得ず
我願わくば此の水を平田(へいでん)と作(な)し
長(とこし)えに水夫をして天を怨まざらしめん


運の悪いことに育ったのは船着場のそば
お上はわたしに船着場の船引きをさせる
つらい日は多く たのしい日はわずか
水の上で寝 砂の上を歩き まるで海の鳥
向い風と流れをさかのぼるのとで船は万斛の重さ
むこうの船着場ははるかにかすみ 後の船着場もかなたに遠ざかった
夜中に土手にそってゆくとみぞれまじり
追いたてられつつ なおもすすむ
夜は寒く着物はぬれても ひっかけるのは短いみの
胸にあながあき 足はひきさかれるこの痛みをどうたえ忍んだものか
夜があけてもこのつらさを訴えるところがない
ただ声をそろえ足をふみならしながらうたう船引き歌
小さなあばらやにどれだけのねうちがあろう
だが父や母のふるさとを捨てるわけにはゆかぬのだ
わたしはこの水を平らなたんぼにして
永久にこの水夫が天を怨まないようにしてやりたい

 


悲しい詩に慰められてしまうこころ。じっと文字を見て水底でしずかに休息をとっているような感覚。

 

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