読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

田村隆一の詩を読む〔一周目〕その5:全集5 『狐の手袋』(1995)~『1999』(1998)

全集5には2詩集が収録。
『狐の手袋』(1995)
『1999』(1998)

 

70歳を越えて、新たなチャンネルが開かれたような感覚の詩が出てきた。翁の文学、老年の詩ととらえればいいのだろうか? 希望も展望もない乾いた悲しみに、少しだけ好きなものと愛するものが混在している、荒地の世界。老眼が出始めた程度のものが、立ち去るものの鋭いまなざしの中に仮居させてもらうには、まだ身を固めていないと厳しいし、長居するのもつらい。身をもって生きられ、なげうたれた無常にたじろぐ。

一篇の詩
その一行 一行が断崖だとしたら
作品ははじめて死体からよみがえる
そんな詩が書けたら
北アフリカの砂漠を歩いてみるか
アブサン!」

(中略)

ロートレック最晩年の「砂漠」は
ムーラン街24番地
モンマルトルの娼婦の館(やかた)こそ
心という絶えず移動する水平軸
魂は断崖と砂漠をつなぐ垂直軸
肉だけで構成されている砂漠のアトリエで
男の油彩も三百点の石板も
十九世紀最後の十年間に稲妻のごとく仕上げられたのもの
十九世紀以外に「世紀末」はない

この世の外(そと)なら
どこだっていいさ
どこだって

(『1999』1998収録 「アブサン」部分 )

 

断崖も砂漠も今いる部屋の中にはなく、図書館や書店の棚から少しだけ借りてくる。無常を本当には味わうこともなく、日々繰り延べ引きのばされるどん詰まりの二十一世紀の世を、幾分亡霊のようになりながら、転んで立ち上がれなくならないようにすごす。テカテカでスリッピーな日々。趣味は読書。今度は、詩人の好きなオールド・パーを買って、もう少し長く断崖を見せてもらうことにしよう。

 

田村隆一
1923 - 1998