読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

『ホモサピエンス詩集 ―四元康祐翻訳集現代詩篇』(澪標 2020)  たとえば、「現代マケドニアの詩人の存在を知っていますか?」と問いかけてもいる詞華集

ドイツ、ミュンヘン在住の日本語現代詩人の四元康祐が、主に西欧で開催された文学祭や詩祭や相互翻訳ワークショップで知り合った22ヶ国32人の詩人の作品を、自らの手で訳して紹介した、今現在の世界の現代詩を知ることのできる貴重なアンソロジー

各国の文学賞や詩賞を獲得している21世紀初頭の各国トップクラスの詩人が集成している様相で、本書においては詩作品自体もさることながら、各詩人の詩をめぐる活動のアクチュアリティと詩に賭ける驚くほどの熱量に圧倒される。

翻訳編集をした四元康祐を含めて、名声や金銭などの世俗的成功を計算したり目指したりしているようでは、詩に生きるという人生は到底割に合わない。本書で紹介されている詩人に関しては、信念であれ、反抗であれ、自己陶酔であれ、メインストリームにはいない状況を自分自身で背負いつつ、独自の実践を切り拓いているさまに、世俗的成功譚とは別種の爽快感を感じさせてくれる。

収録された詩人が居住しているのは以下22ヶ国。
アイルランド、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、オーストラリア、オランダ、カナダ、キプロス、スペイン、スロベニア、トルコ、ブラジル、フランス、ベルギー、ポーランドポルトガルマケドニアリトアニアルーマニア、ロシア、中国、米国。

20世紀終盤の社会主義国崩壊などによる政治情勢によって出生国から移民した後に詩を書く言語を後天的に自ら選択してしている人もいるので、かなり複雑な世界情勢を反映しているともいえる。どちらかというと小国であったり周辺国といわれる国の詩人が多かったり、大国にあってもマイノリティである移民の詩人であったりして、詩の生まれる環境というか状況というものが平坦なものではないということに改めて気づかされたりもする。

また、中国の現代詩人は漢字を通しての翻訳であることから、形式面では日本の中国文献受容の読み下し文的印象が強く、米国の詩人として紹介されているドン・ミー・チョイは韓国生まれの移住者で、儒教的な家の文化的縛りに対面しなければならない精神が作品から強く感じられて、西洋文化系の国々とは違った文化圏の存在というものが確固としてあるのだということにも思い至らされたりもする。

全篇を通じて個人的にいちばん気になった詩人はマケドニアの二コラ・マジロフ。詩人の言葉づかいや東洋的な無常観のようなものに四元康祐も親近感をもっているためなのか10篇もの詩が翻訳紹介されている。以下の詩は、その10篇のなかでいちばん短い四行詩。

沈黙

この世には元々沈黙など存在しなかった。
あれは僧侶らが発明したのだ
毎日馬の蹄の響きが聞こえるように
翼から羽根が抜け落ちる音が聞こえるように。

静寂の中で物音を聞いたうえで観照するという閑居閑暇の時空を創造すること。そして、そこに生まれる吐息のような言葉にも耳を傾け吟味すること。この他にも、詩の発生をくりかえしている現場に多く立ち会えることができるのが本詞華集。

勅撰和歌集の撰者のように自作を入れるのが必須であるならば、四元康祐が何を選んだか想像してみるのも面白いと思う。

※アフリカ大陸の詩人ががごっそり抜けていたり、イスラム圏とインドの詩が見当たらないということは、それはそれで一種のメッセージになっているのだろう。


四元康祐
1959 -