読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

自作を語る画文集『エドヴァルト・ムンク 生のフリーズ』(訳編:鈴木正明 八坂書房 2009) 生の支えとしての芸術の光

フリーズは冷凍、凍結、氷結ではなく建築用語からの流用。「叫び」の状態のまま生が固まってしまうということをねらって言っているものではない。

「フリーズ」とは、元来は建築用語でギリシアの神殿建築における列柱上部の、通常は絵や浮き彫りで飾られた帯状の部分を指すが、ムンクはこれを「シリーズ」あるいは「連作」といったような意味で使っている(p63 訳者注)

 

神殿や教会を飾る絵や浮き彫り(レリーフ)はもとは文盲の民に向けて教えを伝えようという意図を持ったものだが、近代教育によって文字を教えられた人間にとっても、絵や立体作品は、文字とは違った教えを与えてくれる貴重なチャンネルとして残りつづけている。単純に美しいとは言い切れないムンクのような絵画作品をわざわざ好んで鑑賞するのは、暗さのなかでの光のありように心を動かされてしまうからだ。

私は、なぜほかの人たちと同じでなかったのか、なぜ私の揺籃には呪いがかけられていたのか、なぜ望みもしないのにこの世に生まれてきたのか、というようなことを思いめぐらすことに私の芸術は根ざしている。私の芸術は私の人生に意味を与えてくれた。私は芸術を通して光を求めた。芸術は私の必要とした生の支えとなった……(「黒い天使」p38)

幼くして母と姉を結核で亡くし、心を閉ざしがちの父とともに過ごし、自身はリューマチ熱、対人恐怖症、アルコール中毒、精神病に苦しんでいたというムンクは、その代表作の突き抜けた暗さからも、不幸に染まった人生を送っていたのだろうという勝手な思い込みを持っていたのだが、伝記的な事実と本人の言葉を合わせ読むと、16歳で絵をかくようになって以降のムンクは、どちらかといえば社会的には恵まれていた人物に入る。美術学校に入るにあたってはその才能への期待から奨学金を得ているし、それ以降の職業画家としての歩みの中でもパトロンにも美術界での理解者にも恵まれて、常に第一線で活躍している様子がうかがえる。また、金銭的により余裕が出てきた際には、後進の画家への援助ということも行っており、破綻した人物としてでなはなく、ノルウェーの偉人という地位にふさわしい人物として知られることとなっていった。壮年期から老年期においては、画家本来の暗さをほのかに感じさせながらも崇高な輝きに向かった大きな作品をつくることが多く、今回ほぼはじめて鑑賞して、印象を新たにするところが多くあった。

しかいながら、やはりムンクは40歳以前の不安を抱え込んだ表現のほうが圧倒的に見てみたいと思わせる力がある。不安や狂気そして不幸は、画家自身が芸術に向き合うときに演出的に用いたところも大いにあるだろうが、それは芸術を欺いたり裏切ったりするものではなく、ムンクの芸術に近づくための手段であったのだろう。後期作品には別の回路もできてきたのだろうが、生の前半では、回路はひとつしかなく、それゆえに、そのひとつの回路を研ぎ澄ませていく作品一つ一つの制作の歩みには鬼気感が伴っていたのだと思う。

本書の構成は「はじめに」で編訳者の鈴木正明がムンクの人生を辿り、本編のほうは年代ごとのムンク自身の言葉と作品とで構成されていて、全124頁というコンパクトな分量に関わらず、多くのことが表現され、書籍としての凝縮度が高い。白黒図版が多いのが唯一惜しいと思ってしまうのだが、ネットやほかの本と比較しながらあえて白黒を鑑賞するというのも、陰影の深いムンクという画家に対してはいい接し方なのかもしれないと思い、しばらく眺め直してみた。

ゴッホより生や精との間合いの取り方がうまくいった芸術人生なのかなという感想が出てきた。

 

八坂書房:書籍詳細:エドヴァルト・ムンク

 

目次:

はじめに
1863~92  黒い天使
1892~1909 生のフリーズ
1909~44  終の住処

エドヴァルト・ムンク
1863 - 1944
鈴木正明
1913 -