読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ウォルター・ペイター『ルネサンス』(1873, 1893)ほか 筑摩書房『ウォルター・ペイター全集1』(2002)

150年ほど前に刊行されたウォルター・ペイターの唯美主義の書『ルネサンス』は美術や文芸の世界にスキャンダルを巻き起こし、ペイターの学者としての道や文筆家としての活動に困難さをもたらすことになった著作であるとともに、世紀末芸術を加速させるとともに20世紀モダニズムを生み出す大きな役割を担った書物でもある。現在新刊書店ではほとんど手に入らない状態で、読むきっかけとなるような現代の仕事も乏しいなか、三島由紀夫の熱心な読者であるか西脇順三郎のファンが細々と読むくらいの状態ではないかと思われるが(私は後者)、訳者である富士川義之の解説や独自の批評眼からなる特異な印象批評からなる本文を読んでみると、いまでも心動かされる妖しく艶めかしい魅力を持った著作であることが分かる。ルネサンス期自体の研究がまだまだ進んでいない時代の著作ということもあって今現在学問的には通用しない部分も多く含まれているし、また『ルネサンス――芸術と詩の研究』という題から期待されるような全般的見通しを与えてくれるような研究でもない。どちらかというと小説家的資質を多く持った文筆家によるエッセイ集成で、ルネサンス期の独自のコレクションからなる歓待の空間をつくりあげることが目的とされているような印象がある。先行する美術評論家ラスキンの中世ゴシック美術優位の芸術観に対抗して、古代ギリシアの芸術寄りの人間性と自然観の再生と新生を評価した挑戦の書でもあったらしい。現在では何ほどのこともない審美的態度の優位も、宗教的敬虔さが十分に時代を覆っていた文化状況では十分衝撃的であったようだ。オスカー・ワイルドなどの熱烈な賛美者を生み、またエリオットやリチャーズやイエイツなどの賛否両論の言説を生み出すなど、美的で情動的なペイターの文章が持つ影響力は大きなものであった。

ルネサンス』は時代に向けての宣言の文章ととれる「序論」と「結論」のほか9編を収め、そのラインナップからはあまりなじみのないルネサンスの側面が浮かび上がってくる。

古代フランスの物語二篇
ピコ・デッラ・ミランドラ
サンドロ・ボッティチェッリ
ルカ・デッラ・ロッビア
ミケランジェロの詩
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ジョルジョーネ派
ジョアシャン・デュ・ベレ
ヴィンケルマン

なじみのある絵画の作者たちであるボッティチェッリミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョルジョーネであっても、ペイターが観る画家たちの作品は光の要素よりも影の要素が大きく取り上げられ、生と死の絡み合い、官能と苦悩の共生という面が強調されている少しめずらしい解釈が展開されている。ボッティチェッリの作品に描かれている者たちに関しては「彼らは優雅で、ある意味では天使のようなのだが、どこかしら流浪、喪失の感じが付きまとっている」と評され、レオナルド・ダ・ヴィンチについては「全作品に漂っている何かしら不吉な感じ」を、そして「未完成性によって獲得している」ミケランジェロ作品の力強さと甘美さを伴った理想的表現を、「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という名言のあるジョルジョーネ論では形式と内容の完璧な一致について語られ、その至高の瞬間は音楽から遊戯へと移行することが描き出されている。終焉への不安と悲哀を背景として持つがゆえに一層艶めかしく輝く生の稀少な瞬間と、それを見事に定着させているルネサンス期の表現者たち。精神の清澄さばかりでなく身体の不透明さもろともに人間を描いた表現者たちへの共感からなるペイターの印象批評は、美的に、官能的にならざるを得ないもので、それは後に書かれた『想像の肖像』などのフィクション寄りの散文作品にも見られるように、描く対象に同化変容していく憑依的批評家気質が生んだ作品のように思われた。

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ウォルター・ペイター
1839 - 1894
富士川義之
1938 -