読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

狩野博幸『もっと知りたい 河鍋暁斎 生涯と作品』(東京美術 2013) 蛙と妖怪に心をほぐされる

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かわなべきょうさい(1831 - 1889)技術にも発想にも優れた画人。

先日読んだ山口晃の『ヘンな日本美術史』(祥伝社 2012)のなかの「やがてかなしき明治画壇」の章でとりあげられていたので、不遇の人、屈折をもってしまった人かなと予想していたところ、まったく違っていた。国内の評価は低いかったのかもしれないが、国際的にはずっと愛され、外国人の弟子までいて、そこそこ恵まれているし、何より画家当人が近代日本の美術界など関係なく、好きでずっと画いているということが作品を通して伝わってきて、とても気持ちがいい。聖と俗、美と醜、高い技術力で違った作風をともに画ききってしまうところが凄い。


日本伝統の「鳥獣戯画」にも連なる戯作のジャンルには特に優れていると見えて、立ち止まって見てみると吹き出してしまうことが多くある。師匠でもあった歌川国芳よりも笑える。暁斎の画自体にはストーリーに乗ったセリフや動きがなくても、たとえば宮崎駿の『千と千尋の神隠し』や水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』などのアニメーションより、躍動感をもって迫ってくる

私のお勧め二点。どちらも財力と持ち主としての色々な資格のようなものがそろえば手許においてずっと眺め暮らしたい作品。

・「百怪図」(1871 p27)
 書画会のような場で即興で画かれた妖怪画。題では百ということになっているが実際の妖怪数は三十体ほど。ただ一体一体を描く筆の躍動感はすばらしく、それにもまして一体ごとにこめられた妖怪的イメージのゆたかさと力づよさには、贅沢ささえ感じられる。TVアニメだったら30話分の中心キャラクターが詰め込まれている大盤振る舞いのような一作だ。
 
・「美人観蛙戯図」(1871 p47)
 美人画も様式べったりの暑苦しさを感じさせない、すっとしていて愛らしさも感じさせる現代的な美人。浮世絵の美人なので花街の女なのだろうが、「美人観蛙戯図」の美人は気張っていない比較的地味なほっとさせる印象の人で、同じ画面に描かれている戯画的な蛙のあつまり、ちょっとした宴会を眺めているという、かわったとりあわせ。現実の世界と想像の世界との見事な融合で、本や映像作品を見ている人間の時間というのは、もしかしたらこんな感じのものなのかもしれないという想いを持たせてくれる

どちらも肩の力を抜いて楽しむにふさわしい作品だ。

ほかに、魚の顔を正面から画くという、国芳門下の伝統芸も見落とさずに見て欲しい(「鯉魚遊泳図」1985-1986 p85)。

www.tokyo-bijutsu.co.jp

 

河鍋暁斎
1831 - 1889
狩野博幸
1947 -