読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】18. 芸術 強張っているものをほぐす熱のあるもの

芸術はマッサージみたいなものか。凝った体がなければ別に不要なものだろう。あと、揉み返しにはかなり注意が必要。芸術の適量はたぶん自分しかわからない。たぶん、精神科医でもうまい処方は出て来ない。

《渾沌》の概念

芸術とは何か。それは《咲き匂う身体性が溢れ出て形象と願望の世界へ奔流することである》(《力への意志》八〇二番、一八八七年春―秋)とニーチェは言う。われわれはこの《世界》を、対象的な意味にも心理学的な意味にも解すべきではなく、それを形而上学的に思惟しなければならない。芸術の世界、芸術が樹立しつつ開示し、打ち開きつつ創出する世界は、聖化するものの領域である。そして聖化するものと聖化は、それぞれの存在者――すなわち堅固にされ固定化して硬直化しているもの――を、そのつど新たなる可能性へと超出させ昂揚させるあの生成者と生成のことである。これらの可能性は、生の享受と《体験》が追及しうる、迂遠な後来の目標というものではなく、それらに先立つ生の初次的な根拠であり情態的な根拠である。(p123-124)

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900
細谷貞雄
1920 - 1995
加藤登之男
1919 -
船橋
1929 -