読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ハイデッガー

『存在と時間』本篇と関連書籍を読む マルティン・ハイデガーの限界についての個人的感想

フィリップ・ラク―=ラバルトのハイデガー批判書二冊(『政治という虚構』『経験としての詩 ツェラン・ヘルダーリン・ハイデガー』)を読み、アメリカの大学での展開を記したマイケル・ゲルヴェンの『ハイデッガー「存在と時間」註解』を読んだ後、マルティ…

マルティン・ハイデッガー『物への問い カントの先験的原則論のために』(原書 1935-36, 1962 理想社ハイデッガー選集27 近藤功・木場深定 訳 1979) 経験の対象としての物

思惟するものとしての私と対象としての物との「間」というのがハイデッガーのほかの著作でいうところの「存在」であるというような印象が残った。 カントは、彼の著作の終わりの部分(A737, B765)で純粋悟性の原則について次のように述べている。《純粋悟性…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】通読後のまとめ 00(10/10)~28(11/15)

小分けに読んで、部分的な感想を書きながらの読書だったので、一気読みよりは内容が頭に残っているような気がする。講義録だったので、日々の区切りもつけやすかった。 【投稿一覧】10/10 02:14 00. 準備 大きな作品は風呂場で読むと意外と読み通せる 10/10 …

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】28. 最後は存在に着地する ハイデッガー的永遠回帰で回帰するものは存在のかそけさ

常に存在する主体の円環的構造とそこに息づいている言葉、霊息。計算し出力する複数の身体と環世界の交感。渦巻く生存圏。 力への意志としての存在の投企 存在と存在者の区別と人間の自然[本性] 空虚と豊饒としての存在 およそいかなる言葉も言葉であるかぎ…

マルティン・ハイデッガー『カントと形而上学の問題』(原書 1925-26, 1929, 1951 理想社ハイデッガー選集19 木場深定 訳 1967) 人間の本質的有限性をめぐっての考察

『存在と時間』で論じられる計画であった時間性の問題について扱った講義録。カッシーラーによってカントを自分の考えに引きよせすぎと批判されて、後にその批判を受け入れているという一冊。逆にハイデッガーの方向性というものはよく出ているのかもしれな…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】27. 表象 存在の本質としての対象性、表象されていること

存在の本質が、表象であり思惟であるということをストレートに論じているハイデッガーの論考にしては珍しい部分。ニーチェの力への意志が出てくる前提としての哲学の歩みをプラトンのイデア―デカルトのコギト―カントのカテゴリーと辿っている。 形而上学の終…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】26. 自由 近世的主体の自由を誤謬可能性から定義づける

ハイデッガーがデカルトの省察から自由を論じている部分が興味深い。 デカルトとプロタゴラスの形而上学的な根本的境涯 デカルトに対するニーチェの態度表明 デカルトとニーチェの根本的境涯の内的連関 人間の本質規定と真理の本質 誤りうるということは欠陥…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】25. 機械的経済学 地球支配が可能だと思うことができた時代と人の発想

永遠回帰を肯定し、目標なしに生を肯定することを価値とする超人が、いつの間にか地球の支配者としての地位につけさせられている。「ヨーロッパのニヒリズム」は1940年に行われた講義。さすがに現代では地球支配ということを表立って表明する人は少数派…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】24. 地球支配 時にでるハイデッガーの地がうかがえるような言葉

超人が地球を支配するという言葉だけピックアップしてくると、どうしても優生思想がちらつくが、奴隷を必要とするような主人がニーチェの超人というわけではないだろう。 ニーチェの歴史解釈における主体性 形而上学についてのニーチェの《道徳的》解釈 闘争…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】23. 計算 価値が存在するのは計算がされるところという指摘

価値の計算が何にもとづいておこなわれているかということについては生成の軸一辺倒なのだけれど、果たしてそこに見落としはないのかという疑問は残る。エロスに対するタナトス、生成に対する消滅への衝動といったものを考慮しなくていいものだろうか。 カテ…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】22. 価値崩壊 生成の過剰に圧倒される価値

ヨーロッパのニヒリズムについて探求が深められていく。意志の向かう先が絞り込めない状況の根底には、生成するこの世界の過剰がある。 三 ヨーロッパのニヒリズム ニーチェの思索における五つの主要名称 《最高の諸価値の無価値化》としてのニヒリズム ニヒ…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】21. 逆転 プラトン主義が逆転した後のぐらぐらした不安定な地平

本能だけで生きられる動物的生と、社会的文化的地平で生きられる人間的生の違い。人間的生は社会的なものなので、地平は活動域を広め深めながらも、生息域としての結構を満たすように醸成していかなければならない。 二 同じものの永遠なる回帰と力への意志 …

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】20. 調和 渾沌と渾沌とのバランス

環境という外側世界も渾沌、人間という内側世界も渾沌。渾沌と渾沌とのバランスがとれたところが正義であり、正当であり、是なるもの。バランスのあり方のさまざまな差異の認識を含めてのバランス感覚としての生の感性。受容と開発。 形而上学的に把握された…

マルティン・ハイデッガー『有についてのカントのテーゼ』(原書 1961, 1963 理想社ハイデッガー選集20 辻村公一 訳 1972) 超越論的統覚と論理学

大事なことが語られることはなんとなくわかるが、読み取るのが難しい。訳文が旧字旧仮名なので輪をかけて難しくなっている。また今度に備えてメモ。 【カントの『純粋理性批判』の中での注解(§16, B134, Anm.)】 かくして統覚の総合的統一は最高点であり、…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】19. 真理と芸術、持続と生成

ニーチェの思想の中では真の世界と仮象の世界の性格が逆転する、ということが展開される数章。 図式欲求としての実践的欲求 地平形成と遠近法的展望 了解と打算 理性の創作的本質 ニーチェによる認識の働きの《生物学的》解釈 存在の原理としての矛盾律(アリ…

マルティン・ハイデッガー「プラトンの真理論」(原書 1947, 1954 理想社ハイデッガー選集11 木場深定 訳 1961)「洞窟の譬喩」についての考察

自由は正当な要請に従う自由であって、単に無軌道無拘束ということとは異なる。 さてしかし、すでに洞窟の内部においてすら眼を影から火の光の方へ、またその火の光の中で自らを提示する事物の方へ向けることが困難であり、のみならず成功しないとすれば、い…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】18. 芸術 強張っているものをほぐす熱のあるもの

芸術はマッサージみたいなものか。凝った体がなければ別に不要なものだろう。あと、揉み返しにはかなり注意が必要。芸術の適量はたぶん自分しかわからない。たぶん、精神科医でもうまい処方は出て来ない。 《渾沌》の概念 芸術とは何か。それは《咲き匂う身…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】17. 認識 実践的要求によって規定され事後的にあらわれる認識

ハイデッガーは有限性や事後性といった人間の制限に関する感度がかなり高い。そこから歴運とか宿命とか運命にもとづいた決断とかの方向に引っ張っていかれることには第二次世界大戦後の世界を生きる人間としてはかなり抵抗があるけれど、人間の規定にあるも…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】16. 西欧的 近代西欧以外にも根をもつ人間の生の条件についての言及はなし

一読、またドイツ民族の優位性についての言説かと感じたが、ゆっくり読み返してみれば、今回の読みの対象の講義部分は特定民族の優越という主張の色は薄い。「永遠性」を生の眼目に置く西欧的緊張の世界の話をしているということの確認らしい。今や世界中ど…

マルティン・ハイデッガー「真理の本質について」(原書 1943, 1949, 1954 理想社ハイデッガー選集11 木場深定 訳 1961)真理の本質は自由、非真理と非本質は・・・

人間の常態にあっては、真理の本質が安らっているわけではなく、真理の本質に到らない非本質と非真理が支配している。まず大切なのは常態で無茶苦茶しないこと。そのために常態である非本質と非真理の様相を知る必要がある。 【非本質】通常のものに安住する…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】15. 真理 生の諸条件の表現であるところの真理

ニーチェの生物学主義的思索は、生物学という科学の成果としてみるのではなく、生物を科学する根拠をも問う形而上学的思索として捉えよと、ハイデッガーは指摘している。科学に対する形而上学の優位を強調しながらの1939年のニーチェ講義。見極め切り分…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】14. 世界 存在者の全体としての世界と認識としての力への意志

これより『ニーチェ Ⅱ ヨーロッパのニヒリズム』(原書 1939, 1940, 1961 平凡社ライブラリー 1997) 一 認識としての力への意志 形而上学の完成の思索者としてのニーチェ ニーチェのいわゆる《主著》 新たな価値定立の原理としての力への意志 《世界》と言…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】13. 決断と必然 次の瞬間の自分を引受ける正しい自己愛

思惟は基本的には無言語で行われるのではなく、母国語で行われる。私の場合は日本語で、気がついたときからずっと日本語で生きている。 生活の資を得るために各種プログラミング言語とSQL(構造化問い合わせ言語)のお世話にはなっていて、そのコンピュータ…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】12. 指帰 次の瞬間への私自身の回帰

永遠回帰は、次の瞬間をおのれのものとすることへうながす思想。 存在者の《人間化》の懸念 回帰説のためのニーチェの証明 証明手続きにおけるいわゆる自然科学的方法 哲学と科学 回帰説の《証明》の性格 信仰としての回帰思想 回帰思想と自由 この思想の趣…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】11. 渾沌=カオス 言葉の規定を超えるもの

瞬間の永遠回帰と「存在者全体の脱人間化と脱神格化」のカップリング。 回帰説の第三の伝達 手許に保留された覚え書における回帰思想 一八八一年八月の四つの手記 思想の総括的叙述 生としての、力としての、存在者の全体、渾沌としての世界 《渾沌》という…

マルティン・ハイデッガー「形而上学の存在-神-論的様態」(原書 1957, 理想社ハイデッガー選集10『同一性と差異性』 大江精志郎 訳 1961)二つ以上のものの関係性ではなく、同一のものからの差異化が語られる

ヘーゲルの『論理の学』(『大論理学』)の哲学演習をまとめて講演した際のテキスト。存在と存在するものとが同一なるものにもとづいて差異を分かち合うことを論述している。 存在は顕わしつつ〔隠蔽を取り除きつつ〕ある転移として自らを示す。存在するもの…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】10. 衝突の瞬間 永遠回帰で回帰するものは決断が切り開くという瞬間

瞬間の出来事を一般に向け表明し説明することは難しい。瞬間という観測対象になりがたい瞬間を評価対象に掲げることの難しさが顔をのぞかせている。 《幻影と謎について》 ツァラトゥストゥラの動物たち 《恢復しつつある者》 瞬間に立つ人は二重の方向を向…

マルティン・ハイデッガー「同一性の命題」(原書 1957, 理想社ハイデッガー選集10『同一性と差異性』 大江精志郎 訳 1961)「A=Aという型式は何を言い表しているのであるか?」

同一性の命題、この最上位の思考法則はなにを言い表しているのかという、日常的には浮かび上がっては来ない問いを問い、答えをあたえようとする講演論文。パルメニデスの言葉「同じものは即ち思考であるとともにまた存在である」を軸に、解き明かしが試みら…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】09. 最後の人間 どん詰まりに対峙する

まず「最後の人間」を目指す。「超人」はそのあと。 回帰説の第二の伝達 最後の人間とは《ほどほどの幸福》をめざす人間であり、きわめて抜け目なくすべてを心得、すべてを営んでいるが、そうしながらすべてを無難化し、中位のもの、全面的平凡の中へ持ちこ…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】08. 無 存在と同じくらいにゆらぎをもたらす概念としての無

これより第二期講義、「二 同じものの永遠なる回帰」。 ハイデッガーにとって「存在」はあるということの根源、「無」は「存在」に対立しているもの。「存在」という概念にゆらぎが発生すれば、対立概念の「無」もゆらぐ。光と闇が截然とわかれることがない…