読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マルティン・ハイデッガー「プラトンの真理論」(原書 1947, 1954 理想社ハイデッガー選集11 木場深定 訳 1961)「洞窟の譬喩」についての考察

自由は正当な要請に従う自由であって、単に無軌道無拘束ということとは異なる。

さてしかし、すでに洞窟の内部においてすら眼を影から火の光の方へ、またその火の光の中で自らを提示する事物の方へ向けることが困難であり、のみならず成功しないとすれば、いわんや洞窟の外部の自由な場において自由になるには最高度の忍耐と努力を要する。解放ということはすでに束縛の解除から生じるのではなく、また無拘束の状態において成り立つのでもない。むしろそれは先ず、その形相において確定した事物の確固たる限界に眼を固定することに不断に慣れることとして始まる。本当の解放とは、その形相において顕現し、そしてこの顕現することにおいて最も隠れないものであるところのものの方へ不断に向けることである。自由はただそのような向けることとしてのみ成立する。(p60)

 自由に付き合うこと向き合うことの自由。困難に向き合うことの型や技法を身につけた自由。忍耐と努力は自由のための準備動作。

本論においてもハイデッガープラトンイデアという固着したものから存在への向きなおりを結語として提示してくるのだが、その前段階での自由の様相の記述に眼を向けておいた方が、現実的には役に立ちそうだ。

守破離、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」(千利休)の「本」(ハイデッガーでいえば存在)を忘れないための「守」を身につける稽古、基本動作は忘れてはいけない。


マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
木場深定
1907 - 1999