読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アラン・バディウ『推移的存在論』(原著 1998, 水声社 近藤和敬+松井久訳 2018) 数学と数学の裂け目からの哲学的思考(文芸要素多め)

本書『推移的存在論』は、バディウの主著『存在と出来事』(1988)と『存在と出来事 第二巻 世界の論理』(2006)を繋ぐ位置において書かれた中継点的著作で、『存在と出来事』のエッセンスと『世界の論理』へと展開していく変換点が記されている。訳注解説含めて251ページの作品は、主著に向き合う前の受け入れ準備として読むのに適当であるし、また主著の骨格のようなものだけ感じ取りたいという要望にも向いている一冊であろう。
第4章「ドゥルーズの生気論的存在論」におけるドゥルーズノマドバディウ的要約や、第10章「論理学についての初等的な暫定的テーゼ」でカントールの無意識的同時代人として無限を詠うマラルメなど、興味深い記述はいくつもあるが、因縁深いドゥルーズとの関連性や訳注との絡みあいを考えると、第6章「プラトン主義と数学的存在論」における『ソピステス』の〈異〉のイデアに関する記述が日本語訳『推移的存在論』のピークにとなっていると思う。

プラトンにとって、差異は〈異 l'Autre〉のイデアによって調整される。『ソピステス』で提示されるこの〈異〉のイデアは、サイン知解可能な局在化を必然的に含意している。あるイデアが〈異〉を「分有」するかぎり、そのイデアはそうでないものとは異なることが示されうる。それゆえ差異の局在化可能な評価が存在しているのである。つまり、あるイデアが「それ自身と同じ」であっても、異なるイデアとしての〈異〉を分有する固有の様態である。この点を、集合論で引き受けているのは、外延性の公理である。[この公理によれば]ある集合が他の集合と異なるなら、一方に属すが他方には属さない要素が少なくとも一つは存在する。この「少なくとも一つ」が差異を局在化し、純粋に大域的な差異を禁じる。
(第6章「プラトン主義と数学的存在論」p125)

日本でプラトンの『ソピステス』を読むには岩波書店プラトン全集第三巻の藤沢令夫訳になる。こちらの訳業も訳注も解説もさすが専門家と唸らせてくれるものではあるが、プラトンの〈異〉をフランス語では「他者」の意味をもつAutreで訳す伝統があるという情報はさすがに含まれてはいない。さらに差異(différence)と〈異〉( l'Autre)の違いと違いのなかでの関係性にも誘導するような『推移的存在論』の訳注の仕掛けももちろんない。違った角度からプラトンの『ソピステス』に切り込んでいるという意味でも本書の存在価値は大きいのではないかと思う。

www.suiseisha.net

【付箋箇所】
19, 26, 36, 67, 78, 82, 98, 108, 115, 122, 125, 129, 161, 162, 170, 174, 177, 179, 185, 191, 201, 206, 210, 217, 219, 221, 226, 228, 236, 243, 249

目次:
プロローグ 神は死んだ
第1章 今日の存在の問題
第2章 数学とは思考である
第3章 超限‐存在としての出来事
第4章 ドゥルーズの生気論的存在論
第5章 スピノザの閉じた存在論
第6章 プラトン主義と数学的存在論
第7章 アリストテレス的方向づけと論理学
第8章 論理学、哲学、「言語論的転回」
第9章 トポス概念についての初等的注解
第10章 論理学についての初等的な暫定的テーゼ
第11章 数の存在
第12章 カントの減算的存在論
第13章 群、カテゴリー、主体
第14章 存在と現れ

アラン・バディウ
1937 -
近藤和敬
1979 -
松井久
1972 -