読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ひろさちや『超訳 無門関』(中央公論新社 2018)

題に超訳と付いているが、よくある意訳抜粋本とは趣向が異なる。

本書は、中国南宋時代の無門慧開(1183年-1260年)によって編まれた公案集『無門関』を、現代語訳、読み下し文、解説で紹介したあとに、公案本則についての著者の自由訳である超訳を付け加えた、四部構成からなる、わかりやすくてためになる入門解説書。
超訳部分は、公案の問答の意味合いを咀嚼した上で現代的に意訳翻案した一例として、公案の本体である本則部分を口語関西弁で超訳として大胆に味付けして読者に印象づけているとともに、読者にも自分自身の解釈をするよう促す意図を持っている。禅の実参実究に導ための著者ならではの戦略なのだろう。書き慣れた作家の筆力とユーモラスな味付けが、閾の高い『無門関』の理解に大いに役立ってくれる。

『無門関』をガイドするにあたっての著者の態度としては
1.自分は「禅」の専門家ではないから、専門家から見れば間違ったことを言っているかも知れない
2.禅の公案は自分自身の答えを見つけるべきものであるが、それでは本にならないので自分なりの答えを書く
3.仏教の世界と世俗の日常生活の世界では世界観が異なっているが、仏教の教えを日常生活に応用できるように解釈する
といったところが挙げられる。

分からないから距離を置くという態度になることを極力排して、興味関心を持ってもらうことに努めたプロフェッショナルの姿勢であると思う。

ちなみに、本書の超訳の雰囲気としては「第三十七則 庭前柏樹」などを例として看てもらえればいいかと思う。

【読み下し文】
趙州(じょうしゅう)因みに僧問う、「如何なるか是れ祖師西来(せいらい)の意」。州云く、「庭前の柏樹子」。

超訳
趙州和尚に僧が質問しました。
達磨大師がインドから来た理由は何ですか?」
趙州は答えます。
「東大の公孫樹(いちょう)並木や」。

 

第三十七則については、さすがに超訳だけでは何のことやら分からずじまいであるが、趙州の答えの「超言語」性については解説部分に丁寧な案内があるので、実際に本書を読んでみるとなるほどそんなものかと納得することができる。
難しくはないが質を落とさず内容を伝えきってくれているところが大変ありがたい一冊。

参考書として何度か出てくる柴山全慶『無門関講話』(1977)もよさそうに見えた。

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ひろさちや
1936 - 2022