読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

大谷哲夫『道元「永平広録・上堂」選』(講談社学術文庫 2005)

日本において上堂という修行僧向けの法話をはじめたのが道元で、『正法眼蔵』とならぶ道元の主著『永平広録』全10巻には全531回分が収められている(第1巻から第7巻まで)。
本書はそのうちから代表的なもの20篇を選んで、漢語原文に読み下し文と現代語訳、語義解釈と解説で道元の思想と弟子への伝導の姿を伝えている。法話自体は禅の有名なエピソードをもって弟子に問いかけるというスタイルで、道元固有の思想があらわれているということまではなかなかいかないと思う。思想自体よりも、記録として残されたなかから道元の生きた語り口が再現されたり、法話における教示の仕草などのほうが鮮明に浮かんで来たりして、印象に残る。詩文に接することとともに、上堂の法話に触れるということは、道元に近づく手段としては、わりと選択しやすいものであると思う。ただし、両方ともほとんど漢文であるので、現代語訳があった方がよい。読み下し文だけでも雰囲気はつかめないことはないが、禅独特の用語などが出てきて、自分で調べながら読むとなると、途中で挫折してしまう可能性が高い。
私自身は『永平広録』全巻を西嶋和夫監修の金沢文庫上下二巻で上堂を読みはじめてみたものの、200回分くらい読んだところで、本当に雰囲気的なものしか残っていないことに気づいて、現代語訳のある本書に切り替えたのだった。『正法眼蔵』にチャレンジする助走になればと思って、わりと気軽に手にしていたので、身につかないことははじめからある程度あきらめていたのだけれど、さすがに読み通しても読みきったという実感がわかないだろうと思った時点で、より詳しい解説のある書籍を探して出てきたのが本書であった。素人は馴れるまでは無理してはいけない。

読み下し文:

床一撃、鼓三下。伝説す、如来微妙の音。正当恁麼の時、興聖門下、且く道え、如何。

現代語訳:

この道場では、禅牀を打つ音、太鼓の音、そのような音性のなかにさえも釈尊の微妙な真実のみ教えが伝え説かれている。
さあ、それでは、まさにこの時、そこのところを、興聖(わたし)の門下である大衆諸君はどのように表現しうるか。

答える前に、質問をきちんと聞き分けるところからはじめなければいけない。特に禅の場合は、表向きの問いの言葉が真実には何を問うているのかを見極めけなければいけないことが多いので、まず表向きの問いの言葉を抑えておかないと話がはじまりすらしない。

bookclub.kodansha.co.jp

【付箋箇所】
23, 27, 41, 88, 95, 102, 206, 214, 225, 261, 275, 276

目次:
十月  巻頭の上堂 二題/開炉の上堂
十一月 冬至の上堂
十二月 臘八成道の上堂/断臂会の上堂
一月  歳旦(歳朝)の上堂/正月十五日の上堂
二月  涅槃会の上堂
三月  鎌倉より帰山しての上堂
四月  釈尊降誕会の上堂/結夏の上堂
五月  端午の節句の上堂/仏樹和尚忌の上堂
六月  晴を祈る上堂/大仏寺を永平寺と改称する上堂
七月  解夏の上堂/天童和尚忌の上堂
八月  中秋(月夕)の上堂
九月  九月初一の上堂/源亜相忌の上堂

 

道元
1200 - 1253
大谷哲夫
1939 -