生命が必要としている物質交代の仕組みのうち、殊に動きをもって捕食する必要が出てきた動物の個体の様相を哲学的に分析し、人間にいたっては自己が芽生える個体性と自己以外の外的な世界との隔たりが生命活動の自由を生むと解き明かす。
植物の生命が眠っていることができるのに対して、外部に曝された危険なあり方のゆえに、動物には覚醒と努力が不可欠となる。知覚が獲物の情報を与え、その獲物の魅力に反応して、この覚醒は狩猟の緊張と充足の享受へ変化する。一方でこの覚醒はまた、飢餓という苦しみ、恐れという無知、逃亡の不安な労苦を知っている。獲物の追跡でさえ失敗の失望に終わることがありうる。要するに、動物というあり方の間接性には、この覚醒という姿で快(Lust)と苦(Leiden)という二重の可能性がすでに保持されていて、両者は努力と結びついている。
(第六章 運動と感情──動物の魂について Ⅳ〔受苦的・情熱的存在としての動物〕p198 )
ハンス・ヨーナスは、物体たる身体の随伴現象として精神や意識が生じていると考えることには否定的で、またスピノザ的な心身並行論にもあまり関心を持っていない様子ではあるのだが、動物の身体に生命維持活動のエンジンとして快苦と情動が埋め込まれていると受け取れる上記引用のような本文の記述を見ると、動物の身体の優位性や個体であることの特異性を重視しているようなので、精神の超越的な存在を認めないほうが腑に落ちるのだが、本書全篇を通して読むと、精神の特異性を動物の身体の物質性に還元せず、神の領土あるいは人間存在の不死性という仮説のなかに保護しているような印象があり、読後感はあまりすっきりしない。
著者は、人間の特徴を、像を造りだし形相を操るホモ・ピクトル〔描く人〕と規定しており、像をつくる抽象の能力を、従来の哲学的概念における想像力あるいは構想力に結び付けていたりもするので、人間の身体を基盤とした能力であることの強調を期待して読みすすめていると、そこも完全に唯物的な解き明かしには収まらない領域に論を拡げていっている。
最後にはハイデガーの「なぜ無ではなく何かが存在するのか」という問いを召喚し、存在論と倫理学の新たな統合から人間の存在意義を見出していく必要があるというというところにも論は進むのだが、人間の存在意義ということまで持ち出されてしまうと、生態系を破壊したうえに、生命活動や地球存続にも脅威となる核保有が常態化していることを知ってしまっている人間としては、種としての存在意義など果たしてあるのだろうかと疑問に思いちょっと暗澹たる気分にもなる。人間側からの独我論的な存在意義の探究ではどうにもすっきりしない。像を描く能力は想像にも破壊にも結びつくことを冷静に探究していったほうが研究としては真っ当だろう。
本書の感想としては否定的なことばかり書いてしまったけれど、論考の大部分を占める地道で視野の広い的確な分析は非常に明快で刺激的であり、とても興味深く読める書物であったことは間違いない。
【付箋箇所】
7, 14, 20, 37, 4557, 60, 81, 85, 109, 130, 134, 139, 142, 148, 150, 154, 157, 159, 160, 164, 167, 172, 176, 188, 198, 214, 218, 222, 227, 230, 232, 242, 245, 258, 267, 288, 292, 294, 300, s302, 308, 311, 319, 324, 332, 335, 336, 348, 349, 363, 369, 394, 401, 407, 409, 416, 423, 432, 434, 437, 440, 442, 447, 485, 489
目次:
まえがき
緒 論 生命の哲学の主題について
第一章 存在についての理論における生命と身体の問題
第二章 知覚、因果性、目的論
第三章 ダーウィニズムの哲学的側面
補遺 生命の理論に対するデカルト主義の意義
第四章 調和、均衡、生成──体系概念およびそれを生命存在へ適用することについて
第五章 神は数学者か?──物質交代の意味について
補遺1 自然を解釈する際、数学はギリシアでどう用いられたか
補遺2 ホワイトヘッドの有機体の哲学に対する注釈
第六章 運動と感情──動物の魂について
第七章 サイバネティクスと目的──一つの批判
補遺 唯物論、決定論、精神
第八章 視覚の高貴さ──感覚の現象学の試み
補遺 視覚と運動
第九章 ホモ・ピクトル、あるいは像を描く自由について
補遺 真理経験の起源について
移行部 有機体の哲学から人間の哲学へ
第十章 理論の実践的使用について
第十一章 グノーシス主義、実存主義、ニヒリズム
第十二章 不死性とこんにちの実存
エピローグ 自然と倫理
ハンス・ヨーナス
1903 - 1993
細見和之
1962 -
吉本陵
1978 -
参考: