読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

冷泉為人『円山応挙論』(思文閣出版 2017)

俊成、定家からつづく和歌の家、冷泉家二十五代当主冷泉為人による円山応挙論。箱入り400頁を超える堂々たる造りに、期待感と緊張感をもって手に取ったところ、100頁弱の付録冊子がついていることに虚を突かれた。どう見ても素人の手になるとしか思えない書で「理想と現実 冷泉家 ご先祖さまはえらかった 冷泉為人」と題字が印字されている。和歌の家にあって書の心得もなく、「ご先祖さま」という言葉の選択も違和感しかなかった。調べてみると、著者の旧姓は松尾勝彦で、近代日本絵画を専門とする研究者で大学講師であった身から、1984年の40歳を迎える時に結婚婿入りして、冷泉家の人間になったということを知った。出版社の思文閣出版の編集者からは、応挙研究者としての円山応挙論をだいぶ以前から求められていたようで、応挙にかかわる学識は期待に値する確かなものであることは予想されるのだが、付録との抱き合わせ出版の形態は、70歳を越えた著者の研究の集大成としての記念出版ともいうべきもので、ある程度力を抜いて読むべきものであろうと察知した。
実際、折に触れて書かれた諸論考をそのまま集積した感が強く、重複した論考が多いため全体的に冗長な感じは否めない。また、教えを受けた先達を「先生」として賞揚することはあっても批判的継承を行なったりすることはなく、同世代や後続世代の研究に目配りして応挙研究で新たな局面を切り拓こうという気概も、本書に感じることはない。
ただ、江戸時代の平安で文化の庶民化世俗化が進展していく世において、日本画の画風が移り変わっていくさまを的確に重層的に捉えているところは読み応えがあり、その時代変遷の大きな転換点としての応挙の存在を冷静に見極めているところにはセンスを感じる。「見立て」という先行作品を前提とした文化享受の貴族的な地平から、作品の技巧のなかで完結する「しかけ」による美的なものの享受への移行を、江戸の支配権力階層から新興階級としての京阪商人富裕層へのパトロンの移行と重ねて論じ、江戸後期にはさらに江戸の庶民層を享受層とした北斎や広重などのより世俗的な浮世絵文化に繋げているところなど、大いに学ぶべきところがある。
また、応挙に関する資料が少ないこともあるのであろうが、応挙についての論考、とりわけ同時代の論考については、現代語訳ではない原文もしくは読み下し文で、ほぼ見るべきものはすべて網羅されているところは、応挙ファンであれば見ておいて損はない。
論考以外の部分では、応挙作品の先行作品との比較、円山四条派の後続作品との比較で浮かびあがる、応挙ならではの繊細さと変革者としての特異性を、応挙と応挙以外の作品の並列で観取できるところが貴重。
たとえば、三井文庫蔵の国宝「雪松図屏風」の応挙と弟子の呉春や同時代の狩野派の作品との並列は、技術の選択、表現の方向性において応挙が唯一無二であることを有無を言わさないほどに示している。白さを際立たせる画布の裏面処理とともに、色彩を施すことなく描き残すことによって汚れなく厚みのある雪の質感を感じさせる引き算の技法をとることと、その引き算を最大限に引き出す細くて芯のある松葉の線の生み出す生命力の相乗効果が、ほかの絵師には見られない画面を生み出していることを、そのまま体現している。奇想の画家というよりも、祖師というにもふさわしいひとつの標準をつくりあげたことに逆説的に応挙の独自性があることを示した点に、冷泉為人の応挙論の旨味はあるように思う。

応挙にあって問題になるのは、あくまでも「新図」を創造することであった。(中略)新図を確立しようとする態度は、彼の理想とするところでもあった。(中略)「真物ヲ臨写シテ新図ヲ編述スルニアラスンハ、図画ト称スルニ足ンヤ。豪放磊落気韻生動ノ如キハ、写形純熟ノ后自然ニ意会スヘシ」

応挙の自然は、自然でありながら極限の技巧であるところがすばらしく且つおそろしい。表現のひとつの極限に、いとも簡単に触れてしまえることの畏ろしさ。享楽による引き裂き、僥倖的享受と現実的失楽あるいは表現能力における再現断念の失意が見返すたびに起こる。
こうした反復運動を輪廻というのなら、解脱できない業というものを宗教的にではなくとも現世で実感できる。

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【付箋箇所】
6, 17, 20, 24, 27, 49, 63, 99, 104, 119, 121, 126, 139, 140, 143, 145, 148, 155, 174, 188, 198, 211, 231, 250, 254, 273, 294, 301, 312, 313, 340, 343, 345, 347, 354, 357, 381, 383, 384, 391, 416, 418

目次:
第一部 江戸時代絵画史における応挙
  第一章 江戸時代と絵画 
  第二章 安永天明期の京都画壇――伝統と革新

第二部 応挙の新しい写生の型
  第三章 「花鳥諷詠」――はじめに
  第四章 京派の絵画
  第五章 雪松表現――新しい美の典型①
  第六章 雪景表現――新しい美の典型②
  第七章 鶴表現――新しい美の典型③
  第八章 雁表現――新しい美の典型④
  第九章 孔雀表現――新しい美の典型⑤
  第十章 動的表現(鯉魚・瀑布・波濤・流水)――新しい美の典型⑥
  第十一章 人物表現――新しい美の典型⑦
  第十二章 応挙の写生図について――新出の「写生図貼交」屏風をめぐって

第三部 応挙の写生論
  第十三章 「応挙の写生」
  第十四章 円山四条派における装飾性――円山応挙を中心として
  第十五章 応挙の写生画――「しかけ」表現をめぐって
  結章 円山応挙


円山応挙
1733 -1795
冷泉為人
1944 -