批評
テヘラン出身パリ在住の哲学者による現代絵画論二本。 マネ論「現代芸術の出発」は、バタイユのマネ論を主軸に、油彩技法の革新者であるファン・エイクから、現代絵画をはからずも切り拓いたマネの絵画技法に至る流れを、より俯瞰的に示したエッセイ。マネの…
1955年刊行のマネ論を中心に、バタイユの絵画論を集めた一冊。マネ論のほかは印象主義論、ゴヤ論、ダ・ヴィンチ論が収められている。共通するのは、ある種の痛ましさに直結するような、絵画作品の恍惚のたたずまいを産みだした画家たちを論じているところ。…
バタイユ晩年(といっても58歳の時)のエドゥアール・マネ論。西洋絵画の世界にブルジョワ的日常空間と色彩の平面性を導入することで、本人の意図しない数々のスキャンダルをひきおこし、印象派をじはじめとした近代絵画の道を切り拓くことになったエドゥ…
出版間もないのに非常に評判の高い一冊。買おうかどうか迷ったら、ゴシック体で強調しているところをたどって書店店頭で判断すればよいという徹底して初心者に優しいつくりにもなっている。浅田彰の『構造と力』が天使的軽さを目指しながらまだ大天使の大き…
本書『推移的存在論』は、バディウの主著『存在と出来事』(1988)と『存在と出来事 第二巻 世界の論理』(2006)を繋ぐ位置において書かれた中継点的著作で、『存在と出来事』のエッセンスと『世界の論理』へと展開していく変換点が記されている。訳注解説含め…
仲正昌樹の『モデルネの葛藤』のなかに、ノヴァーリスの『花粉』からデリダの『散種』へという案内があったので、『花粉』につづいて『散種』も読んでみた。 ノヴァーリスの唱えた聖書に連なる百科全書的な世界で一冊の書物から、マラルメの書物を経由して、…
ドゥンス・スコトゥスを中心に中世スコラ哲学に関する論考が多い哲学者山内志朗が自身のドゥルーズ体験を交えながら、中世スコラ哲学の核心部分を受け継いだ者としてのドゥルーズを描く一冊。どちらかといえばマイナーなたとえによる解説と独特な賛嘆の表現…
自身も小説や戯曲を書くフランス現代思想の重鎮アラン・バディウのベケットへのオマージュ。豊富でこれぞというめざましいベケットの作品からの引用は、バディウの愛あふれる案内によって、輝きと光沢をます。ベケットの灰黒の暗鬱とした絶望的に危機的な状…
本書のもとになる講演では、レトリック、修辞学。言語による表現技法を研究する学問。主に弁論と文芸における言語表現を扱い、言語操作による人間的世界創出活動を考察している。人間にとって言葉は考えるための融通無礙かつ桎梏にもなる道具であり、材料で…
日本の和歌の現代的鑑賞は結構難しい。歌の姿が元のままであることは少ないし、元のままが現代的鑑賞にいちばん適しているとも言いづらいからだ。ひらがなで表示されれているか漢字で表示されているかで、同じ音であっても印象が異なるのが日本語の面倒なと…
仲正昌樹の博士論文『<隠れたる神>の痕跡――ドイツ近代の成立とヘルダリン』(1996)に、2009年のハイデガー・フォーラムでの報告論考「哲学にとっての母語の問題――ハイデガーのヘルダリン解釈をめぐる政治哲学的考察」を付録としてつけて刊行されたもの。 市民…
批評家安藤礼二の名前をはじめて意識したのは角川ソフィア文庫の鈴木大拙『華厳の研究』(2020年)の解説。ずいぶんしっかりした紹介をしてくれる人だなと気になって最近複数の作品にあたっていたが、折口信夫研究からの必然的な展開として新仏教家藤無染を…
20世紀への転換期にあたる時期、野口米次郎(ヨネ・ノグチ)の詩人・文化人としての前半生と、極東日本の神秘性を期待して無名のノグチを受容していった英米の文化芸術層の様子をコンパクトにまとめあげた興味深い一冊。 世紀末思想、アメリカのフロンティ…
生きているあいだに確実に超えられない業績を残している人に出会ってしまうのは結構つらい経験ではあるのだが、本を読むということは、そんなつらい経験をあえてもとめているようなところが大きい。 なぜ強いられてもいないのに読んでしまうかというと、これ…
折口信夫の古代学に導かれ日本の祝祭と芸能の展開を追っていく批評作品。「神憑」を聖なる技術としてきた「異類異形」かつ「異能」の者たちは、里の世俗の秩序とは異なる山の聖なる秩序の下で生き、アナーキーかつ神聖なる怪物あるいは霊力を解放する祝祭を…
ドゥルーズの絵画論。哲学の自由と絵画の自由のコラボレーション。主として取り上げられるのはフランシス・ベーコンだが、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、クレー、アルトー、ポロック、抽象表現主義などにも言及しているところが読み通してみるとあらためて…
空海を主人公に迎えた折口信夫未完の小説『死者の書 続編』を批評的にたどり直した一冊。 未完の物語を引受けた小説を期待して読むと場違いなことに気づく。※水村美苗の漱石『明暗』に対するアプローチとは異なる続編作家としての引き受け方を提示している。…
平凡社ライブラリーのこの一冊は、2010年に平凡社から訳出刊行されたジャン=リュック・ジリボン『不気味な笑い フロイトとベルクソン』から生まれた古典的なふたつの論考を新訳カップリングしたアンソロジー的作品。 笑いと不気味なものというともに痙…
草づくしの200ページ。西欧、とりわけフランスの田園のもとに育まれた感性を、多くの絵画、小説、詩、書簡や博物誌や批評のなかに探り、アラン・コルバンの地の文章に多くの引用をちりばめた散文詩のような作品。とてもフランス的で日本ではあまり同系統…
西脇順三郎が残したエリオットについてのエッセイ15本が収録されている。 イギリス留学もしていた西脇順三郎が同時代のエリオットを語るという、西脇順三郎側からの微妙かつ一方的なライバル的関係性もうかがえて興味深い。詩人としてよりも批評家としての…
染織、紬織での人間国宝、志村ふくみが綴るリルケ。ここぞというところで使用されている「裂(きれ)」という記号がどこか聖性を帯びていて、これは敵わないなあと思いつつ読み通す。2012年刊行なので、88歳、米寿での作品となる。それも、敵わない。…
ベルクソンの『笑い』とフロイトの『不気味なもの』の並行した読み解きで、二つのテクストを共振させ、知的刺激をより広範囲に波及させようとする試みの書。途中からグレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学』のなかのメタメッセージとして働く「枠」の考察…
山下裕二と橋本麻里、両人ともに関心のある名前ではあったので、本の背表紙に名前が並んでいるのが目に入り、手に取ってみたところアタリだった。作家としては版画家の風間サチコという名前を知れたことがいちばんの収穫かもしれない。木版画を彫って一枚し…
西郷信綱、永積安明、広末保の三人の日本文学者が各専門時代ごとに凝縮された論考を展開している見事な解説書。読み応えがあり贅沢。 日本古代文学専攻の西郷信綱が古事記から女手の日記文学まで、日本中世文学専攻の永積安明が今昔物語の説話物語の世界から…
書名は『伊東静雄』となっているけれども、詩人の評伝ではない。作品論、それも詩人の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』一冊のみの作品構成を読み解く日本ではまことに珍しい著作になっている。全28篇を冒頭掲載作品から順追って掲載解説している本書を読…
『この世 この生 ― 西行・良寛・明恵・道元』に先行すること5年、上田三四二、56歳の時の刊行作品。醇化しまろやかになる前の荒々しく切り込んでいく姿勢が感じられるのは、壮年の心のあり様がでたのであろうか。語りの対象と同じく歌に生きる者の厳しい…
世俗を離れて透体にいたるまで純化した人たちの思想と詩想を追う一冊。第36回の読売文学賞(評論・伝記部門)の受賞作であるが、いまは新刊書では手に入らない。 明恵は一個の透体である。彼はあたうかぎり肉体にとおい。もちろん、肉体なくして人間は存在…
訳文の中に出てくる「免算」という見慣れない語彙に引っ掛かった。 「免算」だけでは検索でヒットしなかったので、「免算 数学」と「免算 バディウ」で検索したところ、科学研究費助成事業データベースに導かれていった。 アラン・バディウの数学的存在論と…
光文社古典新訳文庫の斉藤悦則の新訳(2016)もあるらしいが昔からある中川信の訳で『寛容論』を読んだ。 不寛容が拡がっている世の中で、あらためて読み直されている古典、らしい。 カソリックとプロテスタントの対立が長くつづいていた18世紀フランスに起…
ブランショのマラルメ論考を集めた日本独自の書籍。翻訳も各論考もなされた時代にかなりの幅があり、出典も異なっているため、一冊の本として筋の通った展開があるわけではないが、各論考でくりかえしとりあげられるマラルメの言語に対する姿勢が、すこし差…