読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

オクタビオ・パスの訳詩集3冊 『オクタビオ・パス詩集』(真辺博章訳 土曜美術出版販売 1997)、『続オクタビオ・パス詩集』(真辺博章訳 土曜美術出版販売 1998)、『大いなる文法学者の猿』(原著 1972, 清水憲男訳 新潮社 1990)

オクタビオ・パスは、メキシコの詩人。シュルレアリスム的傾向を持ちながら、作品は詩に関する詩といったものが多く、批評的あるいは哲学的な雰囲気が濃い。
外交官としてヨーロッパ各国、日本、インドなどで活動し、各地で得た文化的知見を見事に咀嚼し、メキシコで育まれた感性に融合させ、自身の作品に取り込んでいるところに目を見張るものがある。
1990年にノーベル文学賞を受賞して、それまで散文作品の翻訳ばかりだったところに、詩の翻訳もなされるようになったようである。今回読んだ3冊以外に、詩集としては『太陽の石』と『太陽の石』がある。小説や詩論などの散文作品は比較的読まれているものの、芭蕉の『奥の細道』のスペイン語訳の仕事もあるという、日本文化とも関係の深いオクタビオ・パスの詩作品が、もう少し広く読まれて欲しいと思いながら読んだ。言語学記号学などの哲学書と照らし合わせたりしながら読むことも可能な、知的輝きに満ちた詩集である。学術的な興味から入ってくる人のほうが、もしかすると作品に馴染みやすいかもしれない。

 記号は実在ではない、しかし、別の実在を形づくる。文は本文の上で、次々に線状に連結してゆく、そしてそれが解明されると、暫定的に決定的な目標への道を切り開く、
 文は一つの消えてゆく実在を形づくる、それは、実在消滅の造形だ、
 そうだ、それは記号の造形で織りなされたあらゆる実在が、自らの消滅を模索しているようなものだ。
(『大いなる文法学者の猿』より)

デリダ脱構築的実践を、詩の世界で、詩人として実践しているような印象が湧いてくる。『大いなる文法学者の猿』は詩的散文作品で多くの図版とともに編まれた繰り返し読んで飽きない作品。『オクタビオ・パス詩集』『続オクタビオ・パス詩集』は日本で編まれた詩選集で、パスの詩人としての傾向をつかみながら詩人に馴染んでいくことができる。いずれも新刊書では手に入らないところは残念。

【付箋箇所 a:上段, b:下段】
オクタビオ・パス詩集』
20b, 55a, 56a, 58a, 63a, 65b, 78a, 80a114a, 119b
『続オクタビオ・パス詩集』
27a, 31a, 49a,98a, 110b
『大いなる文法学者の猿』
8, 16, 56, 59, 64, 66, 103, 106, 113, 116, 118, 133, 137, 159, 161, 163, 79

オクタビオ・パス
1914 - 1998
真辺博章
1932 - 2000
清水憲男
1947 -