深く激しい表現の発露のもとにあるものを、ノイローゼという言葉で表現しているところに、本書が書かれた時代の空気感と馬場あき子40代の激しさのようなものがすこし感じられ、ほんのすこしだけたじろいだりもするのだが、多くは式子内親王の歌を読み込み、式子内親王が生きた時代の資料を丁寧にたどり、歌にからめて紹介していくことで、作品に込められた式子内親王の想いがより明瞭になってくる、目配せの利いた価値ある評伝になっている。
第一部では、日記を書かなかった式子内親王の生涯を、同時代のテクストに残された周囲の動向から浮かび上がらせるように年代順に丹念に追っていき、第二部でその時代と式子内親王の立場から、主に百首歌の部立ごとに作品の傾向と特徴を論じている。馬場あき子が選ぶ式子内親王の歌は、激しい憂いと嘆きに満ちた屈折の多いものが目立つ。背景に王朝貴族自体の没落、親しい者たちが被った不遇と凋落、自らの思わしくない体調と、物思いにふけりがちな非社交性などがあり、歌には直接は現われない現実世界の投影なども適宜指摘してくれたりもする。
日に千たび心は谷に投げ果ててあるにもあらず過ぐる我が身は
始めなき夢を夢とも知らずしてこの終わりにや覚め果てぬべき
今日は又きのうにあらぬ世の中を思へば袖も色かはり行く
秋の夜の静かにくらき窓の雨うち嘆かれてひましらむなり
年ふれどまだ春知らぬ谷の内の朽木のもとも花を待つかな
おしこめて秋の哀にしづむかな麓の里の夕ぎりのそこ
花は散りてその色となく詠むればむなしき空に春雨ぞふる
「花は散りて」という字余りの初句には、粘着力のある<艶な怨み>がこもっており、未婚のままの人生のはてをさびしむような声調を感じさせる。全く、広々とはてしない無表情な空から、限りもなく煙りつつ降ってくる春雨を、みるともなくみつめつづける老いたる内親王のすがたには、客観的にも生ける屍の感慨がにじんでいたかもしれない。
(「花を見送る非力者の哀しみ―作歌態度としての〈詠め〉の姿勢」p155)
馬場あき子による式子内親王の歌の読解は、ときに残酷な表現をともないはするのだが、一理あると思わせる読みの深さがある。その一方、生のあり方としては否定的な評言をひきつけてしまう式子内親王の歌自体には、負の色をいくら重ねられても、突き抜けてくる美の輝きがある。むなしさの圧倒的存在感、冷酷であるがために逆説的に清浄で犯しがたいだれも満たされていない異世界感。無ではない圧倒的なむなしさの遍満する世界。その世界は、出家剃髪ではなく、歌が成立する強度とともに、そのままの姿で救済され、荘厳化されている。文字言語とともに色をあらためることが可能なこの世界。この世界に、今現在、式子内親王や馬場あき子とともに、私もいる。
【付箋箇所(ちくま学芸文庫)】
10, 51, 55, 57, 58, 59, 61, 63, 66, 68, 77, 93, 96, 114, 122, 127, 132, 134, 154, 158, 166, 167, 183, 188
目次:
第1部 式子内親王とその周辺
四宮の第三女式子の出生
斎院ト定前後
み垣の花―斎院式子の青春の夢と失意
前小斎院御百首のころ―平氏全盛のかげの哀傷
治承四年雲間の月―以仁叛乱と式子の周辺
贄野の池―以仁敗死とその生存説の中で
建久五年百首のころ―後白河時代の終焉と式子の落飾
軒端の梅よ我れを忘るな―病苦の中の正治百首
第2部 式子内親王の歌について
宇治の大君に通う式子の心情
式子は多量の霞を求めねばならなかった
梅のおもかげ
花を見送る非力者の哀しみ―作歌態度としての〈詠め〉の姿勢
式子を支配した三つの夏と時鳥
落葉しぐれと霜の金星
巷説「定家葛」の存在理由
忍ぶる恋の歌
式子と定家、ならびに宜秋門院丹後
梁塵秘抄は作用したか
式子内親王
1149? - 1201
馬場あき子
1928 -
参考: