読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

塚本邦雄『西行百首』(講談社文芸文庫 2011)

西行嫌いを公言していた塚本邦雄が70歳を越えてから雑誌「歌壇」に二年間にわたって連載していた異色の西行評釈。百首のうち曲がりなりにも褒めているのは三分の一程度で、それ以外は完全に否定しているか、もしくはほかの歌人西行自身のエピソードを語るための入り口としてしか評価されていないような、不思議な書物になっている。

「願はくは花のもとにて春死なん」の歌どおりの死を用意したことを頂点としたさまざまな自己劇化の傾向を生臭いと嫌い、また勅撰和歌集に撰出のされるために、『千載和歌集』の撰者俊成とその息子定家に、撰歌資料となるように自歌歌合の判者をなかば無理やり務めさせたりしていて、その出家者にあるまじき執着心を批判するという、多くの西行論のなかではなかなか見られない西行評であり、西行の人物像が収められている。本書で知る西行は、歌も行動も多面的で、かなり新鮮である。

さらに、西行の歌が脇役になる章では、『御裳濯河歌合』の判者であり『千載和歌集』の撰者である俊成、『宮河歌合』の判者であり『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の撰者である定家、そして『新古今和歌集』の実質的独撰者であり隠岐本で多くの掲載歌削除を行った後鳥羽院の判定を批判的に考察したり、時に西行の歌に対する鋭い鑑識眼を評価していたりして、西行について語りつつも『新古今和歌集』の塚本邦雄の徹底した読み方を伝えることのほうが主となっている。そこでは、西行の歌も含まれる『新古今和歌集』の編集の妙と、西行を上回る歌才を持っていると著者によって見なされている藤原良経、定家、俊成、家隆、式子内親王の歌が褒め上げられていて、極めて特殊ではあるが核心を抉る『新古今和歌集』論にもなっている。また、第八勅撰和歌集新古今和歌集』94首についで57首と西行の歌が多くとられている第十四勅撰和歌集玉葉和歌集』については、京極為兼の見識と永福門院の歌才が印象的に取り上げられて、京極派による西行リバイバルと歌の革新が指摘され、『玉葉和歌集』と京極派への優れた導入ともなっている。実際、私はこの『西行百首』を読むことで、『玉葉和歌集』や京極派の歌人たちの本に手を伸ばすことになったのだった。

褒めるべきところは褒め、批判するところは徹底して批判する、その態度は、西行ばかりではなく、西行の歌に対する判者である俊成、定家、後鳥羽院にも貫徹されていて、ある種の凄まじさを感じさせる。晩年を迎えるなかで、最後に乗り越えるべき問題の象徴としての歌人西行に、渾身の力で挑んだ末に成し遂げられた、火の出るような見事な業績。

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【付箋箇所】
8, 11, 19, 21, 23, 26, 27, 29, 30, 32, 40, 54, 75, 81, 83, 84, 94, 97, 106, 108, 110, 112, 118, 123, 133, 134, 135, 146, 150, 152, 155, 157, 165, 173, 176, 182, 193, 216, 223, 224, 227, 252, 258, 264, 271, 273, 276, 280, 282, 286, 290,294

塚本邦雄
1920 - 2005
西行
1118 - 1190
藤原俊成
1114 - 1204
藤原定家
1162-1241
藤原良経
1169 - 1206