読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

高橋源一郎訳の『方丈記』

河出書房新社から出ている池澤夏樹個人編集の日本文学全集では古典作品を現代の小説家がかなり自由に翻訳している。そのなかで『方丈記』を高橋源一郎が翻訳しているということなので、読んでみることにした。
いったんは図書館の書棚から手に取ってみて、表題と冒頭二行を読んだところで、心の準備が整っていなかったために慌てて元の位置に戻したのが二週間前。なんかヤバそうな訳だと感じた冒頭部分がこれ。

方丈記(モバイル・ハウス・ダイアリーズ)

カモノ・ナガアキラ

1 リヴァー・ランズ・スルー・イット

あっ。
あるいていたのに、なんだか急に立ち止まって、川を見たくなった。

 

その後、池澤夏樹個人編集日本文学全集で古典を訳した現代作家たちの講演を集めた『作家と楽しむ古典』の第二巻「土左日記 堤中納言物語 枕草子 方丈記 徒然草」で高橋源一郎の講演と質疑応答部分「方丈記 翻訳は小説を書くことと同じです」を読んでみて、鴨長明の『方丈記』ではなく、高橋源一郎の小説としての『鴨長明方丈記(モバイル・ハウス・ダイアリーズ)」』として読めばいいのだと腹がくくれたので、通読してみた。

印象としては、高橋源一郎の文学的思考と作品解釈態度がよく出たポップな現代口語訳で、内容的には大幅に外れることなく、原作者鴨長明を現代的な一人称小説の語り手に設定し直して、存在的に軽く、かつ、かなり感傷的な人物としてとらえ直しているところに特徴があるのではないかと思う。貴族階級出身の失敗者としての屈折した感情ですこし歪んでいる言語表現が、比較的単純な拗ねものの言葉になっているところが、この翻訳をしたときの高橋源一郎フィルターによる偏光による効果なのだろうと思った。「ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり」の原文直訳につづけて、「だって、そうしないと、おそろしい「虚無」に落ちてゆくような気がするんだ」と付け加えているところなどは、小説家ならではの訳といっていいと思う。気に入らなければ、日本文学の研究者の手になる「方丈記」訳か、原文を直接読めばいいだけのことだ。水木一郎のマンガの『方丈記』のように、異なるジャンルのなかでの作家表現であると捉えたほうがいい。単に否定するだけでは実りがない。

ちなみに高橋源一郎にはこの後に『論語』の全訳を行っている。刊行当時の2019年、私は小説を書かないで高橋源一郎は何がしたいのだろうといぶかって遠ざかっていたのだが、翻訳書を小説として書いているという態度を知って、ようやく読んでみようという気になった。『一億三千万人のための『論語』教室』。ただの『論語』ではなく、タカハシさんの『論語』として迎えてあげることがたぶん重要。

 

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高橋源一郎
1951 -
鴨長明
1153/55 - 1216