読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

水木しげる『マンガ古典文学 方丈記』(小学館 2013, 講談社水木しげる漫画大全集092 2018)

水木しげる91歳での作品。画力も、構成も、調査も、どこにも衰えの見えないところに唖然とさせられる。

混迷を深める21世紀の世界情勢と、東日本大震災の痛みが生々しく残るなか書き下ろされた作品で、平安末期から鎌倉初期にかけての激動の時代を生き、自身の体験と見分をもとに、日本の歴史が生んだ社会の全体像に迫った名作随想『方丈記』の全容と、作者鴨長明の生涯を、鮮やかに、軽やかに、見事に描いた伝記マンガ。
91歳の水木さんが、『方丈記』の成立した1212年の方丈庵に、58歳の鴨長明を訪ねるという、タイムスリップ形式のインタビューがメインのドキュメンタリー作品。
鬼太郎でもおなじみのマンガのデフォルメされたタッチと、背景や鴨長明関連人物紹介の肖像に見られる写実的なタッチが混在していて、ストーリーの味付けと、史実や資料に裏付けられた歴史の情報が、複雑かつ濃厚でありながら鮮明な印象を読者に与える優れた構成となっている。特に印象的なのは、第十一章「遁世」13ページ目の方丈庵内部を一望できる俯瞰ショットと、鴨長明が記した文章の筆文字の描写。『方丈記』に書かれた内容と著作自体の存在が、視覚から迫ってくる。また、文章からは現実感をもって想像することの難しい、『方丈記』に書かれた各年代のエピソードにおける鴨長明の姿が、手際よく視覚化されているところも注目に値する。幼少期の鴨長明からはじまり、父親を喪った18歳、飢饉や大火事や平家による遷都の時期を挟み歌道に打ち込んだ20代から30代の長明、世俗的な昇進の夢に破れ出奔した40代後半、出家後も悟りも権力筋(源実朝)からの評価も得られず迷いの深い50代前半、そして『方丈記』や『無名抄』『発心集』が書かれることになる50代後半の鴨長明を、連続性を失うことなく無理なく表現しているところは、さすがと感じさせるものがある。室町期に描かれたという土佐広兼作と言われる鴨長明肖像画をベースに描かれたのではないかと思わせる58歳の鴨長明から、逆算して各時代の鴨長明の肖像を描き分けているのは、視覚芸術に長年携わってきた創作家だからこそ出せる技術なのだろう。文学の研究者からでは得られない鴨長明の肖像に触れることができるだけでも本書を読む価値はある。もちろんそれだけでなく『方丈記』の記述自体や『方丈記』が成立した時代の状況を、高い再現性をもってきわめて印象的に表現しているところは、出色である。『保元物語』や『雨月物語』につながる崇徳院のエピソードや、『吾妻鏡』や『新古今和歌集』『金槐和歌集』成立時代の和歌書につながる源実朝あるいは西行のエピソードは、忘れがたいものがある。
気軽に何回も読めて、読むたびに何事か新しいところが見えてくる、奥深い伝記マンガの傑作であるのではないだろうか。

 

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鴨長明
1155 - 1216
水木しげる
1922 - 2015