読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

二つのジョルジュ・ルオー版画展のカタログ

1.ジョルジュ・ルオー版画展 ―暴かれた罪と苦悩― 1989年 町田市立国際版画美術館 高木幸枝+箕輪裕 184点
※『ユビュおやじの再生』『ミセレーレ』『サーカス』『悪の華のために版刻された14図』『流れる星のサーカス』『受難』『回想録』『グロテスクな人物たち』『小さな郊外』からセレクト。すべて日本国内にある作品で構成されている。『流れる星のサーカス』『受難』は色インクを使用した多色刷りで図版もカラー。

2.ルオー版画展 ユビュ爺の再生/ミセレーレ 2004年 松下電工(現パナソニック)汐留ミュージアム 後藤新治+増子美穂+石川裕美 80点
※『ユビュ爺の再生』全22点、『ミセレーレ』全58点

 

20世紀初頭、複製芸術としての人気も地位も高かった時代の版画入りの書籍。その刊行にいたるまでには、通常の近代的絵画作品よりも数多くの人間の意向が複雑に入り組んでいる。版画単独で書物として構成されることは稀で、古典であれ新作であれ、詩であれ散文であれ、読まれるべきテクストとの組み合わせで鑑賞されることが多かった。

ルオーの手になる版画集のシリーズでは『ユビュおやじの再生』『サーカス』『悪の華のために版刻された14図』『流れる星のサーカス』『受難』『回想録』には版画のほかに本文があり、『ミセレーレ』『グロテスクな人物たち』『小さな郊外』が版画のみの構成(とはいっても、シリーズ名と作品名がテクスト並みの喚起力をもっている)であった。なお、ルオーの画商でもあったアンブロワーズ・ヴォラールの書いた『ユビュ爺の再生』のテクストは、汐留ミュージアムのほうのカタログに訳載されている(図版も市立国際版画美術館のものより解像度が高く鮮明で、彫り、摺りの工夫が良く見てとれる)。それ以外のテクストは未収録。

版画といっても『流れる星のサーカス』『受難』は色インクを使用した多色刷りで、水彩やグアッシュで描かれた作品に似ている。複数点刷られるので、絵画よりも手に入りやすいという利点はあるものの、絵画に比べて魅力があるかどうかというと少し疑問が出る。色彩や線が筆の運動から生まれるのではなく、ルオー以外の摺り師によって刷られるものなので、絵画作品よりゆらぎの少ない落ち着いたスナップショットのような雰囲気になっている。作品のダイナミックさという点では、多色刷りよりもモノクロームの作品のほうに分がありそうだ。線や面にルオーが原画に込めたものがよりよく残り、対象の量感や劇的効果が豊かである。とくにカラーに比べて太く見える首の力強さが印象的で、苦難にも折れない生命感を伝えている。

版画集が刊行されるまでのエピソードには、ルオーの芸術家としての真摯さと背中合わせな独善性が見えたりもして興味深い。版画の制作上の意見の相違から、摺り師との関係が破綻してしまったことも紹介されている。詳細については記述がないものの絶交にまでいたるなでのなかで残された同一の版画作品の試し刷りを並べて見せられると、ルオーの完成に対するこだわりに付き合いきれなくなる関係者の思いも理解できる。設計者であり依頼者でもあるルオーの指示に従って10度も変更作成を強いられたとしたら、勘弁してもらいたくもなるだろう。修正にかかる費用など金銭面の話は出てこないが、修正ごとに加算請求してよいという契約ではなかったであろうし、契約そのものもきちんとしたものがあったかどうかあやしい。鑑賞者には完成品しか提供されないことがほとんどだが、試し刷りの数々を見ることができたのは、作家のこだわりと完成にいたるまでの過程を知るのに貴重な体験であった。絵画でも習作を何点か並べることで同じような体験はできるだろうが、版画の複数の試し刷りと完成版はより微細な変化とその意図をくみ取れるようで、おもしろい。ただし、契約内容にもよるのだが、ルオーのような依頼者と一緒に仕事をすることは自ら進んでは選ばない。
※試し刷りの紹介は町田市立国際版画美術館の解説部分に収録

 

ジョルジュ・ルオー
1871 - 1958
アンブロワーズ・ヴォラール
1867 - 1939