読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ベルナール・ドリヴァル+イザベル・ルオー『ルオー全絵画』(原著 1988, 柳宗玄+高野禎子訳 岩波書店 1990)

ジョルジュ・ルオーの全絵画の目録。掲載作品数全2568点。装飾美術学校に通っていた1885年の10代の素描から、1956年85歳での油彩作品までを、時代ごとテーマごとに分けて網羅した大型本。全二冊、総ページ数670ページ。売価88000円。
柳宗玄『ルオー キリスト聖画集』が売価39000円。

これら豪華な造りの本が日本で刊行されているということからも、ジョルジュ・ルオーの人気の高さがうかがえる。

ルオーの絵の何が日本の鑑賞者を惹きつけるのか、サラッと言い当てることは私には無理なのだけれど、作品の単純さと幻想性と筆触の魔術的な佇まいが、絵画の知識を必要としなくとも鑑賞可能にしているところが大きいのだろうと思う。目録をずーっと見通していくなかで、私はどことなく熊谷守一との類似性を感じていた。フォーヴィズムの画家として分類されることもある画家のなかでは、マティスよりもルオーに近いものを熊谷守一に私は感じたようだ。平面化、単純化、そして何よりも油彩における絵具の使い方に並行性があるように思う。青年期から晩年までの進み行きが似ていて、最後には油絵具から天上的浄土的な輝きを発光させる領域にまで到達しえたまことに稀でエネルギッシュな技量の輝きが重なってくる。

本当に似ているのかどうか、この『ルオー全絵画』の図版がすべてカラーであったならもう少しはっきりするのだろうけれど、残念ながらほとんどはモノクロでの紹介である。図版でサイズ的に小さいものは1ページ当たり8作品収められていて、同時期の同系統の作品をカラーで鑑賞したことのない場合には、実物の味わいを想像するのはかなり難しい。技法と塗りの厚さはモノクロームでも比較的見分けていくことは可能なのだが、そこにどんな色彩が使われているのか、そして色彩と塗り方の配合から生まれる作品それぞれの印象がどんなものなのかは想像がつきがたく、実物により近い状態で鑑賞したいという欲望を引き起こす。『ルオー キリスト聖画集』でカラーで見た作品と『ルオー全絵画』にあるモノクロの同一作品の印象を比べると、色彩という次元を欠いたことで失われる作品の命の分量の大きさにびっくりする。色彩の画家という呼ばれ方もされるジョルジュ・ルオーの作品はやはりカラーで鑑賞したいところではある(とりわけ水彩系の作品は)。しかしながら世界中に分散して存在しているルオーの全作品の図版を揃えられたこと自体にまず驚き感謝しなければいけないのかもしれない。19世紀に制作された作品もあるのだからなおさらだ。

 

ベルナール・ドリヴァルはルオーに詳しいフランスの美術史家でルオーの生涯に渡る伝記的事項と作品解説のテクストを提供している。こちらは全絵画作品のカタログ的性格と相俟って、ルオーという画家の特徴をよく描きだしている。厳しさを持ちながら、見るもの触れるものに対する愛を決して失わずに長い創作期間を駆け抜けた人物がジョルジュ・ルオーであると宣言し、ルオーが持っていた愛の精神のもとに作品に向き合うことを勧めているようであった。

「愛の精神」、この短い表現は、おそらくルオーの芸術をこの上なく完全に定義づけるものである。彼の芸術は、それと対立するもののすべてをこの愛の内に和解させ、それによって神的なるものに接近するのである。
(ベルナール・ドリヴァルの本文より)

風俗画的題材も愛の精神のもとに描きあげられることで聖画のような雰囲気を纏う。イコン画のように信者が聖なる世界を見るための窓となるよりは、聖なる世界からの光が漏れ出る通路として存在し、たまたま出会った人に世俗とは異なる何ものかのインスピレーションを与えるきっかけを作るのがルオーの作品の姿ではないかと思う。絵具であることがはっきりわかりながら、浄化された光を作品が放ってしまう不可思議。芸術家というのは、あくまで世俗的な領域で、人間の精神に計測不能な動きを生じさせては、立ち去っていく予想外の存在なのであろう。消費しきれぬ商品の制作者であり、自らがその商品の第一の消費者であり愛好家であるのだろう。

 

【付箋箇所】

3, 11, 17, 19, 20, 40, 104, 108, 114, 124, 130, 139, 173, 175, 222, 225, 227, 269, 271, 303, 

19, 20, 75, 97, 129, 136, 137, 138, 264, 286, 289, 291

ジョルジュ・ルオー
1871 - 1958
熊谷守一
1880 - 1977
ベルナール・ドリヴァル
1914 - 2003
柳宗玄
1917 - 2019
高野禎子
1952 -

※イザベル・ルオーはジョルジュ・ルオーの娘で目録の作成を担当