再読。
二十数年ぶり。
当時と今とで最も変わったことは、ネット環境の充実によってバルトが論じている作家の作品を手軽に高解像度で閲覧できるようになったこと。
図版が十分でなくとも、スマホ片手に検索しながら、バルトが見ていたであろうものを確認しつつ、テクストを読むことが今はできる。
現時点においても、日本ではなかなかお目にかかれない作家の作品も、名前のスペルを確認して、海外サイトまでちょっと検索範囲を広げてみれば、相当の情報がすぐに得られる。
絵画というよりも記号の発生する場や運動に魅かれて、自身もみすず書房のバルト著作集の表紙にも使用されているような躍る筆致の絵を描いていたロラン・バルト。そしてそのような絵を描くことに深く影響し、触発したであろうアンドレ・マッソン、サイ・トゥオンブリ、ベルナール・レキショについては、本書のなかでは特に質量ともに充実した論を展開している。
限られたモノクロームの図版で見る限り、バルトの熱がどこから生まれてくるのかよくわからず、変ったものが好きなんだなあという思いを抱くにとどまってしまう可能性がかなり高い。いちばんページを割いているベルナール・レキショなど、いまにいたるまで日本ではほとんど知られていないであろう作家で、今回も作品をネット上で見なければ、他人事のような感じで読み、そしてわりに早いうちに忘れてしまう可能性が強かったのだが、生国フランスのレキショ専門サイト( https://www.bernard-requichot.org/)で作品を見たところ、バルトの熱が分かったような気がした。描いて見てさらに描いて見ての終わりのないような運動が画面から伝わり、美しい色彩の饗宴と、美しい線のうねりと絡みあいが、摸倣し反復する欲望を生み出してくるのだ。サイ・トゥオンブリの作品(ウィキアート:https://www.wikiart.org/en/cy-twombly)においても似たような事態が生じてくるが、レキショのほうが感染性は高い。
ネット上でバルトが論じている作家の作品を見たうえで、バルトが何を論じているか想像しながら本書を手に取ってみるという順序も有りかと思う。
エルテ(本名:ロマン・ド・ティルトフ Erté
アルチンボルド Giuseppe Arcimboldo
アンドレ・マッソン André-Aimé-René Masso
サイ・トゥオンブリ Cy Twombly
ヴィルヘルム・フォン・グレーデン Wilhelm von Gloeden
ベルナール・レキショ Bernard Réquichot
リチャード・アヴェドン
【付箋箇所】
27, 30, 38, 45, 51, 66, 91, 94, 102, 113, 119, 120, 143, 146, 147, 151, 163, 182, 194, 200
目次:
文字の精神
エルテ または 文字通りに
アルチンボルド または 「修辞家」と「魔術師」
絵画は言語活動か
アンドレ・マソンのセミオグラフィ
サイ・トゥオンブリ または 量より質
芸術の知恵
ヴィルヘルム・フォン・グレーデン
この古きもの、芸術……
レキショとその身体
目の中をじっと
ロラン・バルト
1915 - 1980
沢崎浩平
1933 - 1988