読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ステファノ・ズッフィ『ファン・エイク  アルノルフィーニ夫妻の肖像』(原著 2012, 千速敏男訳 西村書店 2015)

謎が謎のままで放置されるにもかかわらず、謎の味わいを最大限に引き出し、多くの資料を読み込んだ理性的なアプローチと惑溺ともいえる作品愛から様々な解釈の方向性を残しつつ、見るべき対象をしかと捉えて離さないステファノ・ズッフィの本文。見ていると思いながら見ていないものの多さに気づかせてもらうことだけでも、本書を読む価値はあるだろう。

写実の極で描かれたシャンデリアに灯る一本だけの蝋燭、脱ぎ捨てられている男女の木靴の存在、アルノルフィーニ夫妻がまとっている衣装と仕草とそのおのおのがもつ時代的な意味、室内に配置された小物や動物が喚起するアレゴリカルな意味、窓枠外に描かれたサクランボから季節を特定し、鏡にも映る窓から入り込む光線が室内空間を満たしているさまと遠近法が確立する前の空間のゆがみなどが、16の部位の拡大図版とともに指摘されている。82.2×60㎝という作品サイズから抜き出された部分は、時に実寸以上の拡大率をもって示されて、細部にわたるまで驚異的な技巧で緻密に描かれていることも同時にわかるようになっている。

油彩の創設期にあってヤン・ファン・エイクの存在は突出している。ステファノ・ズッフィはそれを素晴らしすぎて納得がいかないというふうに表現している。「15世紀の巨匠たちのなかで、創造的な技能、熟達した技術、空間の表しかた、人物の心理描写の強靭さにおいてファン・エイクと肩を並べるもの、あるいはそれに次ぐ者はいない」。油彩技法を確立したといわれるファン・エイク創始者であり完成者である特異な存在が『アルノルフィーニ夫妻の肖像』一作から見事に浮かび上がってくるのが、本書の優れた特質である。小さいながら充実した一冊。

 

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【目次】
わたしたちに必要な最後のもの
ある傑作の国際的な遍歴
謎の「エルノール・ル・フィン」―アルノルフィーニか、愚かな寝取られ男
室内の世界
ファン・エイクは、あらゆることを考えた。わたしたちのことも含めて。
図版:“アルノルフィーニ夫妻の肖像”(全図)
部分解説
  鏡の上の奇妙な署名
  かなり謎めいた紳士
  新郎新婦が手をとりあう?
  家自慢の主婦
  高価な異国の果実
  窓の輝き
  前景にある木靴
  最もかわいらしいもの
  ブルッヘ 洗練された繊維産業の町
  古い床板のきしみ


【付箋箇所】
7, 17, 19, 20, 21, 22, 25, 26, 31, 39, 43, 49, 54, 57, 60, 65, 67, 74

ヤン・ファン・エイク
1390 - 1441
ステファノ・ズッフィ
1961 -
千速敏男
1958 -