読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

松浦寿輝『詩の波 詩の岸辺』(五柳書院 2013)

1999年から2011年にかけて書かれた松浦寿輝による日本の現代詩への誘いの文章。

2009年度第17回萩原朔太郎賞受賞作でもある自身の詩集『吃水都市』を含めて、本書で取り上げられている詩集や詩人は、詩歌文芸にすこしでも関心のある読者にとっては読めば刺激となることになるであろう可能性を多く持っているにもかかわらず、基本的には読まれていないし読まれたとしても関心が持続していないという無惨な状況にある。谷川俊太郎長田弘、すこし系統が異なる吉増剛造、日本の近現代詩を切り拓いた萩原朔太郎西脇順三郎など、比較的幅広く受け入れられている詩人もいることはいるが、基本的に現代詩に対する一般的需要はないに等しい。

日本に限らず商業的に成立するような近代的な詩や詩人などはかつても現在もほとんどないという基本構造は揺るぎない。

しかも俳句や短歌があるなかでの現代詩というところで、日本にはいわゆる詩人や詩と分類できるところのものたちが多すぎるという事象もまちがいなくある。

本書にも取り上げられている岡井隆高橋睦郎などは日本の詩歌ジャンルを横断する巨匠の風格を持った人たちで、それぞれ前衛の最先端を切り拓いている詩人でもあるのだが、批評界や学究界まで拡がりのある散文ジャンルをも擁する文芸文学界全体で、現在進行形の創作と受容の現場とに密にかかわるような評価が真っ当になされず、放置されているような現状も、詩歌の窮状を表しているかもしれない。

松浦寿輝は自身詩人であり表象文化論を講ずる学者であり批評家である。彼が大学で教えながら数少ない日本近現代詩の一般読者層向けに書き綴ったのが本書であり、狙いとしては、本書を読んで取り上げられた詩と詩人に興味を持った読者の感想が、新たな読者を誘発開拓するようにはたらくことであろうと思う。

読んだために産まれた批評感想、読んだ影響で新たに書かれた詩歌、自分自身の感覚を通過した詩歌に多する共感と反発の思い、それ以外に詩歌の流れが産み出されることはない。本書のなかで吐露される萩原朔太郎詩との出会いと個人的な関係にいたるまでの深く固有な解釈は、詩人が詩人として成立していく過程を描きだしていて大変興味深い。

求められているのは、新たな詩人を生み古い詩人を賦活し再生転生させる詩の読み込みの過程を含んだ批評言語ではないだろうか。

松浦寿輝は50歳前後10年間での断続的な詩への関わりを未知の読者に向けて提示してくれた。

著者にすこしても賛同するところがあるとすれば、ちょっとでも詩に関わる言葉に反応して、他なる未知の誰かに微かにでも伝えることであろうと今思っている。


すでに読んでいるいくつもの詩集とは別に、本書で教えられて気になった詩集は以下のものである。

朝吹亮二『まばゆいばかりの』
高岡修『幻語空間』
城戸朱里『世界―海』『幻の母』
粕谷栄一の散文詩

特に粕谷栄一推しは気になった。

goryu-books.com

【目次】
1 現代詩―その自由と困難(講演)
2 詩をどう読むか(特別授業)
3 萩原朔太郎の天才(講演)
4 詩の波 詩の岸辺(詩時評)
5 火の詩、風の詩(論考)

【付箋箇所】
7, 10, 11, 12, 17, 21, 22, 27, 28, 31, 38, 40, 41, 97, 112, 217, 231, 236

松浦寿輝
1954 -