読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジャン・スタロバンスキー『道化のような芸術家の肖像』(原著 1970, 訳:大岡信 新潮社 叢書<創造の小径> 1975)

日常を離れた驚異的で奇跡的な技を見せる見世物小屋の異質な価値基準の世界の主役たる軽業師と道化の志向性は近代の画家や詩人や小説家たちの意識と相似形をなしている。現にあるものを嘲笑するイロニーが作り出す意味の空無の時空間が、観衆の普段の振舞いを根底から激しく揺さぶりながら、己自身の存在をも掘りくずしてしまう危うさの位置を占めているのが見世物的な側面を持つ近代的表現者としての宿命であることを様々な表現者の作品を取り上げながら著者ジャン・スタロバンスキーが克明に浮かび上がらせている著作。

画家としてはドーミエ、カロ、ロートレックシャガールドガピカソ、スーラ、ルオー、アンソール、ルドン、クレー、デュビュッフェなど、詩人・作家としてはテオドール・ド・バンヴィルマラルメボードレール、ラフォルグ、ゴーチエ、アポリネールリルケなどを引きながら、道化的存在と振舞いの意義を重層的に描き上げている。

創造と破壊のどちらかといえば、日常性を創り上げているものを破壊する側にある論考である。

生と死の境、意味と無意味の境に接し、生と意味の側の世界の確かさを支える固定した堅苦しい価値の枠組みに反してみせる。現実の重みからの逃避の陶酔を演出し、精神の自由をつかのま味わわせるのではあるが、その自由における高揚は急速に冷えて虚無の世界を引き寄せることにもなってしまう。

イロニーに根ざす自由は、人間の虚しさにみちた光景の上方に超越すると称して、かえっておのれ自身を空っぽに、虚しいものにしてしまう。純粋な領域への飛翔は、内実のない抽象のうちに、みずからを見失ってしまうのである。

(「軽やかさの幻惑または道化の勝利」より)

栄光と奇怪さ、グロリアとグロテスクが不可分である領域での活動とならざるを得ない職種の人々がいる。若さのエネルギーがあるうちは闇よりも光の部分が優越するが、精力の減退とともに闇の部分は勝る傾向にある。それでも意味の欠如や存在の無償性を呼び寄せながら通過する経験のうちにこそ稀にみる意味作用の発現の場が開かれるということを、本書は示しているように思う。


【目次】
しかめ面する分身
再び天才が発掘されたのか?
軽やかさの幻惑または道化の勝利
アンドロギュヌスからファム・ファタール
欲望をそそる肉体と陵辱された肉体
悲劇的道化の誕生
卑賤しき救い主たち
導者と亡者

【付箋箇所】
10, 15, 22, 39, 40, 53, 59, 67, 69, 80, 113, 115, 131, 137, 142, 163

ジャン・スタロバンスキー
1920 - 2019

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大岡信
1931 - 2017

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