ドビュッシー作曲でオペラ化もされたメーテルリンクの戯曲。水の精を思わせるメリザンドは何者かから逃げて森の中の泉の傍らで泣いているところを、狩りの途中で道に迷った寡の王族ゴローに出会い見初められ、結婚相手となり城に住まうようになるが、その城には繊細で美麗なゴローの弟ペレアスがいて、話をしながら同じ時間を共有していくなかで次第に相思うようになってしまうことで、最終的には二人が死に一人が傷つく悲劇となる。
オペラ台本は原作とほぼ変わらない分量と内容で創られているが、オペラだと2時間40分、戯曲だと100ページ足らずで、作品を鑑賞する場合はオペラのほうが滑らかな印象がある(私はピエール・ブーレーズ版のDVDで視聴)。原作はト書きがほぼなく、場面転換のあいだを自分の想像でつないでいく必要があるので、説明が少し足りないと思う部分が出てくるためであるのと、メリザンドの正体が本質的には何も語られていないままストーリー展開しているところに、この劇の世界はどうなっているのだろうという疑問がずっと最後まで続くところに原因があると思う。すべてを説明することなく謎と齟齬を抱えたままなところが神秘的で人を惹き付けているというところがある反面、消化不良という印象も残ってしまう。メリザンドが死ぬ代わりにゴローとの間の娘が生まれたところで劇が終わるのも、続きがあるような含みを持たせているようでなんだか後を引く。多くの芸術家(とりわけ音楽家)たちが本作にインスピレーションを受けて自身の創作に向かうのも、鑑賞者に解釈する欲望を生み出すメーテルリンクの神秘的な象徴劇の作風に因るのだろう。
作品が謎めいていて読み終えても興味が尽きないというのは、同じ作者の『青い鳥』にも共通しているように思えるところだが、どちらの作品も訳者解説くらいではどうにも腑に落ちない。メーテルリンクの短所というよりは象徴的深みに関わることのような気がしているので興味が失せるというよりも調査してみたいという気を起させるのだが、探してみてもメーテルリンク作品の本格的な読解に関する書籍が見当たらないところは物足りなく感じている。
ちなみに岩波文庫の『ペレアスとメリザンド』は対訳本で、フランス語原作もついているが、わたしは訳文のほうしか読めていない。また、カルロス・シュワップ(と表記されているがおそらくカルロス・シュヴァーベ)による挿絵がモノクロームではあるが数多く収録されていて、こちらは戯曲に美しい色どりを添えていて、画家の象徴的画風も作品世界にマッチしているところが素晴らしい。オペラとも違った美しさ(とりわけ風景と男性登場人物、そして平面による構成美)が味わえる。
モーリス・メーテルリンク
1862 - 1949
杉本秀太郎
1931 - 2015
Charles Schwabe
カルロス・シュヴァーベ
1866 - 1926