松本卓也
人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-
2015
ラカンの思想の変遷を、時代を追って図式的に明快に示してくれているので、とても読みやすく、精神分析学習の階段を一歩のぼった気になれて、読んでよかったという心地よい気分にしばらくひたれます。
「症状を記号としてしかあつかわない」『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)による機械的・システム的診断に対する医療現場批判も的を射てるので、現実社会にも効力のある本なのだとおもいます。
ラカンからの最終引用
「人間の存在というものは、狂気なしには理解されえないばかりでなく、人間がもしみずからの自由の限界として狂気を自分のうちに担わなければ、それは人間の存在ではなくなってしまう」(p441)
ラカン派では、知らないうちに自分を突き動かしていた特異性(享楽=エスの蠢き)を取り出しながらも、それを多数の方向へと解放するのではなく、むしろ「これがまさに私である」という単独性=単数性へと変化させることが目指されているのである。(p402)
著者のラカン読解によれば、自閉症的表現の極、ジェイムズ・ジョイスのほうへ注意を向けていけば、治癒や精神の解放への方向性としては間違っていないということになりそうです。
仮止め:
自閉症的特異性を自ら分析し、支え、納得し、耐えていくプロセスを生きる。そのなかで産み落とされていく表現が、生のあゆみを支える杖として機能しているようである。
ジョイスを見よ。
それではジョイスを読もう、と思っても『フィネガンズ・ウェイク』が大きな本屋にも全巻揃いで売っていないという悲しい現状に突き当たるので、ドゥルーズの『批評と臨床』などに興味の矛先を向けておくことにします。
松本卓也
1983 -