読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ウンベルト・エコ『現代「液状化社会」を俯瞰する 〈狂気の知者(モロゾフ)〉の饗宴への誘い』(原書2016, 訳書2019)

ウンベルト・エコ最後の著作。2000年から2015年にかけて週刊誌に連載してきたコラムのなかから、アクチュアリティを失っていないテーマをピックアップしたものに、アラン・W・ワッツ『禅の精神』(1959)への注記「禅と西欧」を付して編集刊行したもの。コラムの内容はイタリア知識人の辛口のボヤキのようなもので、もうちょっと教養持つようにしないとまずいと思うよ、という感じ。ひどい現状だよね、と言って週刊誌上でちょっとした注意喚起の芸を見せてくれている。私が一番身近に感じたことは先進国における少子高齢化と移民労働力についての話題。日本ではエマニュエル・トッドもいっているように移民政策には消極的なので、海外とは少し違った先行きになるだろうけれども、少子高齢化については他の国々によりも激烈なかたちで社会システムの変更がやってくるのではないかと怖れ見守っている。長生きするかどうかは別にして、少子化には加担しているので、責任を問われても困るけれども、まあ、受け止めていくしかない。年金受給額の実質低下、支給年齢の引上げ、退職年齢の引上げくらいは受け入れるしかないというか、もう受け入れさせられている。

ソール・ベローが、狂気の年代には、狂気に触れないよう期待することじたいが一つの狂気の形態だといっていることに、私は同意したい。(「私たちはみな狂っているのか?」p168)

 受け止める姿勢とかわす姿勢をともにとれるような身体能力を身につけ維持できるようにしたいとは思う。

 

付論の位置づけの「禅と西欧」は、禅と西欧神秘主義との近似性を最近岩波文庫から刊行された鈴木大拙の『神秘主義 キリスト教と仏教』などにも触れながら説いている点が印象深い。また、その結論で禅と西欧の思考の最終的な傾向性の差異を取り上げている点も記憶に残る。

西欧は、可変的なものを喜んで受けいれ、それを固定化する因果法則が拒絶されても、蓋然性や統計学の暫定的法則を介して因果法則を再定義することをあきらめない。(「禅と西欧」p203)

西欧の「あきらめない」力というのは、実際に哲学者たちの業績に触れると驚嘆すべきものであることは分かる。

 

jiritsushobo.co.jp

 

ウンベルト・エコ
1932-2016
谷口伊兵衛
1936 -
ジョバンニ・ピアッザ
1942 -