読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

高畑勲『一枚の絵から 日本編』(岩波書店 2009)日本のアニメの巨匠の眼を借りて観る日本の絵画と工芸品

高畑勲は言わずと知れた日本のアニメータ。私は彼の手掛けたテレビアニメを再放送で見た世代。『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』など。個人的にいちばん高畑勲っぽいなと感じるのは『じゃりン子チエ』か。映画だと『ホーホケキョ となりの山田くん』あたりだろうか。『かぐや姫の物語』とかは、ちゃんと見れていない。個人的な趣味の問題だと思うが、高畑勲のアニメーションのテンポ感があまりしっくりこないので、本書もどんなものだろうと、疑いながら読みはじめてみたが、これが絶品。隣接分野の第一人者が見えすぎる眼と感覚で感動し動揺しながら日本画や絵巻の作品に向き合っている様子が浮かんでくるような文章なのだ。東大仏文卒ということもあってか国内外の文学作品などに絡ませながら作品を解説していく知性の輝きも見せてくれる。守備範囲の広い考察がなされていて感心するばかりだ。

視点や構図の取り方がおそろしく映画的だということだけでもすごいが、これを、主に輪郭線と色面による表現だけでおこなったことに、もうひとつの近代性がある。奥行きの深い「縦の構図」をとっているのに、前景も中景も後景も、線と色面だけの層を平面的に重ねただけなので、絵は深くも重くもならず、じつに平明で開放的な気分をもたらす。
これが十九世紀後半の西洋画家たちに連綿とのしかかっていた強い陰影や立体的重量感の重苦しさから解放されたがっていたのだから。線と色面の浮世絵版画は、題材をふくめ、市民生活にふさわしい平明な絵の魅力を彼らに示したが、なかでも『名所江戸百景』の重層的遠近法は、自分たちに血肉化している立体的空間把握を捨てないままで平面化を実現できる可能性を教えたに違いない。
歌川広重:「名所江戸百景」から「四ツ谷内藤新宿」 p160-162 )

浮世絵の後期印象派、アールヌーヴォーへの影響を語りながら、映画やアニメーションやマンガへの逆照射を実作者の経験を交えて縦横に語る高畑勲。一般的鑑賞者にすぎないわたしは、ただただすごいねえと感じるばかりの読書だった。

【付箋箇所】
1, 6, 18, 22, 26, 66, 96, 120, 133, 134, 136, 1141, 142, 149, 158, 160, 162, 178, 189, 218, 229, 244

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目次:
まえがき
常盤光長:「伴大納言絵巻」上巻より応天門炎上を見上げる人々
藤原豪信:「花園天皇像」
藤原隆章:「慕帰絵詞」巻第五より独楽遊び
雪舟:「秋冬山水図」より冬景図
狩野永徳:「「花鳥図襖」より梅に水禽図」「徳川家康三方ヶ原戦役画像(顰像)」「烏図屏風」
狩野長信:「花下遊楽図屏風」
俵屋宗達:「伊勢物語図」から「芥川」
岩佐又兵衛工房作:「浄瑠璃物語絵巻」より
尾形光琳:「立姿美人図(画稿)」
与謝蕪村:「雲上仙人図」
伊藤若冲:「果蔬(かそ)涅槃図」
円山応挙:「朝顔狗子図杉戸」
伊藤若冲:「鶴図屏風」「黒地三笠山鹿模様打掛」
渡辺崋山:「五郎像」
八十五老卍:「月みる虎図」
歌川広重:「名所江戸百景」から「四ツ谷内藤新宿
佐伯祐三:「下落合風景」
小林古径:「清姫」から「清姫
小早川秋聲(声):「国之楯」
鶴岡政男:「重い手」
佐藤哲三:「みぞれ/コドモと柿の夢」
鳥海青児:「うずくまる」
東山魁夷:「樹根」
熊谷守一:「宵月」
香月泰男:「父と子」
小倉遊亀:「観自在」
横尾忠則:「朱い水蒸気」
男鹿和雄:「ねずてん」

 

高畑勲
1935 - 2018