読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】02. 朝湯 ニヒリズムの思想を朝湯でもてなす

超感性的世界、イデアの世界は仮象であるというニーチェニヒリズム解釈を朝湯で迎え撃つ。

風呂入って本を読んでいる私の姿は見せられたものではないけれど、真理より芸術がいいというニーチェの議論は万人に見てもらいたいものである。

 

一 芸術としての力への意志

形而上学的思索者としてのニーチェ
力への意志》という書物
《本堂》のための計画と下描き
力への意志永遠回帰と価値転倒の統一性
《本堂》の構成-逆転としてのニーチェの思惟様式

ニヒリズムとは、最高の諸価値が価値を失うということである。(p43)

伝統的形而上学における意志としての存在者の存在
力への意志としての意志
情動・情熱・感情としての意志

 憤りと愛の遠望についての論述は必見。
 ※今回は記述スキップ。

ニーチェの意志論の観念論的解釈
意志と力、力の本質
哲学の根本問題と先導問題
芸術についての五つの命題

感性的世界――プラトン的にいえば仮象と迷妄の世界――、いわゆる誤謬こそ、真実の世界なのである。ところが芸術の生存圏は、感覚的なもの、感性的仮象である。したがって芸術は、いわゆる真実の世界の設定が否定してきたところのものを、まさに肯定するわけである。(p106)

  

この世界こそ本当に現実的な、ただひとつ真実の世界なのであるゆえに、ニーチェの立場からは芸術と真理の関係について《芸術は真理よりもより多く価値がある》と宣言することができるのである。その意味は、感性的なものは超感性的なものより高位にあり、前者は後者よりも本来的に存在する、ということである。ニーチェが「われわれは真理のために没落することがないようにするために、芸術をもっている」というのは、このためである。ここでも真理という言葉は、超感性的なものの《真実の世界》を意味している。(p108)

ニーチェが思い描いている芸術がなになのかはこの文章からは想像できないのだが、「超感性的なもの」を超える芸術に関しては、鑑賞の時を現実的に共有できるので、是非とも一緒に鑑賞する気分を味わいたい。趣味が違ってもそれはそれ。お勧めの理由を暑苦しくお聴きしてみたい。

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900
細谷貞雄
1920 - 1995
杉田泰一
1937 -
輪田稔
1940 -