心身問題をめぐる哲学者と神経生物学者の連続対談。『ニューロン人間』の著者ジャン・ピエ-ル・シャンジューが脳科学の知見をベースに意識現象とニューロンの関連を語るのに対して、フッサール『イデーン』のフランス語訳者で『生きた隠喩』『時間と物語』のポ-ル・リク-ルが、「私」というのは「脳」ではないと、物理化学的事象と精神や意識現象との結びつきに関わる考えの行きすぎをいさめるという内容の対談。脳は心の必要条件であっても十分条件とはいえない、あるいは、物質的なものは意識現象の必要条件であっても十分条件とはいえないということをリクールが主張したびたび釘を刺してくるなかで、脳科学の一つ一つの成果をジャン・ピエ-ル・シャンジューが紹介してくれている本と私は解釈した。
どちらも有益なことを言ってくれているし、どちらも飛躍したことを言っているように思われる部分もある。勝ち負けをいうのも益ないことなので、両者が共に賛同しているカンギレムの生物学的哲学あたりが歩むべき方向性を示しているのだろうと考えることにする。
カンギレムは、「生物の固有性、それは自己のためにその環境を作ること、自己のためにその環境を作り上げることである」と強調しています。これは、環境に対する生物の行動において予期が果たしている役割について私たちが論じた事柄と一致します。ここで、この指摘を、生物学的自己の構成が有する長所に付け加えなければなりません。カンギレムは、この点についてさらにこう書いています。人間の環境世界(Unmwelt)が「人間主体によって調整され、秩序立てられて」いるように、動物の環境世界も「生物の本質たる生命価値の主体との関連で調整された環境以外の何物でもない」。「われわれは、動物の環境世界のこのような組織化の根源には、人間の環境世界の根源にあるとわれわれがみなさなければならない主観性に類似した主観性があると考えなければならない」。さらに「したがって生物学は、まず生物を意味する対象として、そして個体性をたんなる対象としてだけではなく、諸価値の序列内のある特性とみなされなければならない。生きることは光を放つことであり、環境を諸々の参照の中心を起点として組織することである。この中心は、それ自身が参照されるなら、そのもともとの意味を失ってしまうような中心である」。
(第5章 道徳の根源へ 3「生物学的歴史から文化の歴史へ——個人の重視」のなかのリクールのことば p239)
環境世界をつくるという意味では、脳科学の進歩による新しい治療法の確立、新薬の開発ということで、科学のほうが私たちの生活にダイレクトに影響してくるかもしれないが、AIの進化とともに責任や正義をめぐる哲学的議論が盛んになったように、脳科学の進歩とともに哲学の議論もより活発になるだろう。なるべく科学と技術と哲学をまんべんなくフォローできるようにしておくのがいいだろう。
【付箋箇所】
44, 58, 60, 62, 76, 79, 87, 103, 112, 144, 147, 194, 202, 207, 239, 258,272,291, 323, 328, 332, 340, 352, 362
目次:
序奏
第1章 必然的な出会い
1 知識と知恵
2 脳の認識と自己の認識
3 生物学的なものと規範的なもの
第2章 身体と精神——共通の言説を求めて
1 曖昧なデカルト
2 神経諸科学の寄与
3 第三の型の言説へ向けて?
第3章 体験の試練にかけられるニューロン・モデル
1 単純なものと複雑なもの——方法の問題
2 人間の大脳——複雑性、階層性、自発性
3 心的対象 幻影もしくは連結符
4 認識のニューロン的理論は可能か
5 よりよく了解するためにもっと説明する
第4章 自己意識と他者意識
1 意識空間
2 記憶の問題
3 自己理解と他者理解
4 精神か、それとも物質か
第5章 道徳の根源へ
1 ダーウィン的進化と道徳的諸規範
2 道徳性の最初の諸構造
3 生物学的歴史から文化の歴史へ——個人の重視
第6章 欲望と規範
1 自然の傾向から倫理の装置へ
2 私たちの行動規則の生物学的基盤
3 規範への移行
第7章 普遍的倫理と諸文化の争い
1 倫理の自然的根拠に関する議論
2 宗教と暴力
3 寛容の方途
4 悪のスキャンダル
5 審議の倫理に向けて——倫理委員会の実例
6 調停者たる芸術
フーガ
ジャン・ピエ-ル・シャンジュー
1936 -
ポ-ル・リク-ル
1913 - 2005
合田正人
1957-
三浦直希
1970 -
目次:
初版前書き
第二版前書き
序説 思考と主体
1 方法
動物生物学における実験
2 歴史
細胞理論
3 哲学
1生気論の様相
2機械と有機体
3生体とその環境
4正常なものと病理的なもの
5奇形と怪物的なもの
付録
1繊維理論から細胞理論への移行に関する覚書
2細胞理論とライプニッツ哲学の関係に関する覚書
31665年、パリでテヴノ氏家の集会列席者にステノによてなされた『大脳解剖学に関する講演』からの抜粋
ジョルジュ・カンギレム
1904 - 1995