読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

コンラート・ローレンツ『鏡の背面 人間的認識の自然誌的考察』(原著 1973, 新思索社 谷口茂訳 1974, ちくま学芸文庫 2017)

『攻撃』から十年後、ノーベル生理学・医学賞を受賞した年に刊行された書籍。

人間の認識のはたらきを生物行動学の知見を軸に哲学的に展開した論考。

生物でもある人間をシステムあるいは装置として検討する方法が貫かれているところが科学者らしく明解で好ましい。特に人間の特異な認識能力をその成立に関わる五つの部分的認識能力とその統合によって説明している第七章「概念的思考の基礎」はぜひとも読まれるべきものである。人間の認識の特性が、「知覚の抽象作用」「空間の中枢的表象を含めての空間定位」「好奇心行動」「随意運動」「模倣」の部分機能の統合によって発生したものであるというのが論旨の骨格となっていて、『攻撃』などの著作で以前から説かれていた前三つの部分機能に付け加え、本書で「随意運動」と「模倣」が付け加わったところが新しい。この「随意運動」と「模倣」が加わることで、たとえば、先史学・社会文化人類学の泰斗アンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』で語った言語の発生や、独自色の強い社会学ガブリエル・タルドの『模倣の法則』による文明文化の展開の理論なども連想させて、とても刺激的だ。

摸倣は人間のことばの習得のための、従って間接的に、人間に独特の他の無数のはたらきのための前提条件である。なぜほかならぬ口がこの信号システムの器官になったかということは、いろいろ考えてもいい問題である。われわれがすでに知っているように、口唇と舌はすでにわれわれの祖先において、とくに鋭敏な随意運動の能力を与えられた、それゆえに情報に富む再導入をもたらすことのできる器官になっていた。同時にそれらの運動能は、喉頭の運動能とともに表現運動や表現音声の発生に非常に強く関与している。顔ととくに口は、われわれに近い動物学的親戚にとってだけでなくより広い範囲にわたって、あらゆる社会的相互作用における、すべての関係者の最大の注意の対象であり、そのために信号者として運命づけられている。
(第七章「概念的思考の基礎」第七節「摸倣」p270 )

摸倣の能力、とりわけ音声の領域においては鸚鵡などの一部の鳥類と人間くらいにしか認められないということは『攻撃』などの研究にもみられた観察事項であったが、本書において言語発生と世代間伝承の条件としてとらえられているところが画期的だと個人的には思った。言語に関してはローレンツチョムスキーの普遍文法仮説を指示していることにも興味を持った。たしか、ジャン・ピアジェ構造主義の入門書でチョムスキーを批判していていたことを読んだために手に取ることを躊躇していたのだが、本書を読んで文明批評家としてのチョムスキーばかりでなく言語学者としてのチョムスキーも読んでみようと思えたことが思わぬ収穫でもあった。

www.chikumashobo.co.jp

【付箋箇所】新思索社
18, 42, 57, 73, 87, 113, 114, 131, 158, 165, 168, 181, 206, 208, 233, 235, 257, 262, 268, 270, 277, 304, 307, 319, 333, 340, 343, 348, 359, 361, 374, 377, 381, 385, 402, 407, 414

目次:
認識論的前置き
第1章 認識過程としての生命
第2章 新たなシステム特性の生成
第3章 現実的存在の諸層
第4章 短期の情報獲得の諸過程
第5章 行動のテレオノミー的変異(報酬による学習=強化による条件づけは除く)
第6章 成功の応答と、報酬による訓練(強化による条件づけ)
第7章 概念的思考の基礎
第8章 人間の精神
第9章 生きたシステムとしての文化
第10章 文化の不変性を保持する諸要因
第11章 文化的不変性を解体しようとするいろいろなはたらき
第12章 シンボル構造と言語
第13章 文化発達の非計画性
第14章 認識作用としての振動
第15章 鏡の背面

コンラート・ローレンツ
1903 - 1989
谷口茂
1933 - 

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com