読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【中井正一を読む】06. 久野収編『中井正一全集4 文化と集団の論理』(美術出版社 1981)否定を媒介としての超脱、身心脱落ののちにあらわれる美しい安心の世界

雑誌の巻頭言や新聞のコラムを多く集めた全集第4巻は、岩波文庫の『中井正一評論集』を編集した詩人の長田弘の作品といわれても疑わずに受け入れてしまえるような詩的な文章が多く収められている。

真実は誤りの中にのみ輝きずるもので、頭の中に夢のごとく描かるるものでないことを、この一年が私たちに明瞭に示した。
否定を媒介として、その過程において自分みずからを対象とすること、それがあるべき最後の真実であることを学んだ。
真実のほか、つくものがないこと、そのことが率直にわかること、それがほんとうの安心である。
それは草が持っている安心である。
それは木の葉がもっている安心である。
私たちの社会は、今一葉の木の葉の辿る秩序よりも恥ずかしい。自分たちの弱さも、また、そうだ。
木の葉のすなおさほど強くない。
真実へのすなおな張りなくして、この木の葉にまともに人々は面しうるか。
(『土曜日』巻頭言 「誤りをふみしめて『土曜日』は一年を歩んできた」1937.07.05 p49-50 )

全集を通読して得た美学者中井正一の印象は、弁証法を巧みに操るオプティミスティックなヘーゲリアンであり、つねに美しさを意識しつつ文章を書き仕事をしたすがすがしい人物というものであった。

 

【付箋箇所】
28, 44, 49, 53, 76, 83, 87, 128, 189, 242, 268, 322

収録作品データ:
一九三〇年,『京都帝国大学新聞』,1930.12.21
現代青年の思想について,講演草稿,1935
蓄音機の針,『京都日出新聞』,1933.06.05
真理を求めて,『中国新聞』,1951.08
三木・戸坂両君を憶う,『夕刊京都』,1946.10.06
『土曜日』巻頭言,『土曜日』,1936.07.04~1937.10.05
雪,『美しい婦人の友』,1952.03
われらが信念,『昭徳』,1942.04
橋頭堡,『京都新聞』,1944.09.08~1945.02.15
組織への再編成,『京都大学新聞』,1950.09.25
知識と政治との遊離,『改造』,1948.12
文化のたたかい,『社会教育』,1951.10
農村の思想,『国民講座』,1951.10
農閑期の文化運動,『光』,1948.01
地方の青年についての報告,『青年文化』,1947.11
地方文化運動報告,『青年文化』,1947.01
地方文化の問題,『季刊大学』,1948.08
聴衆0の講演会,『朝日評論』,1950.04
実践について,『青年文化』,1948.09
図書館に生きる道,『図書館雑誌』,1949.05
国立国会図書館について,『東京新聞』,1948.07.24
国立国会図書館の任務,『評論』,1948.11
国会図書館のこのごろ,『朝日評論』,1950.11
焚書時代」の出現,『社会新聞』,1948.11.10
「良書普及運動」に寄せて,『図書館雑誌』,1950.09
民族の血管,『出版ニュース』,1950.01
読書週間に寄せて,『学校図書館』,1951.10
出版界に大龍巻を,『ファイナンス・ダイジェスト』,1951.09
図書館法と出版界,『図書』,1951.10
焚書時代」を脱却,『朝日新聞』,1952.01.01
図書館法ついに通過せり,『図書館雑誌』,1950.04
図書館法の成立,『社会教育』,1950.05
図書館法楽屋話,『法律のひろば』,1950.07
図書館法を地方の万人の手に,『出版ニュース』,1950.05
公民館と書ダナ,『朝日新聞』,1951.12.24
二十世紀の頂における図書館の意味,『読書』,1950.02
巨像を彫るもの,『土』,1951.04
機構への挑戦,『東京大学新聞』,1949.06
移りゆく図書の概念,『図書』,1950.02
歴史の流れの中の図書館,『読書春秋』,1951.05
集団文化と読書,『読書人』,1951.07
図書館の未来像,『図書館年鑑』,1951.10
大会を終りて,『図書館雑誌』,1950.06
図書館協会六十周年に寄せて,『出版ニュース』,1951.10
支部図書館三周年に寄せて,『びぶろす』,1951.11
組織としての図書館へ,『びぶろす』,1950.02
アメリカ教育使節団の報告書を読みて,『図書館雑誌』,1950.12
国会図書館の窓から,『ブックス』,1949.03
図書館,宮原誠一編『社会教育』,1950
調査機関,『思想』,1952.04


中井正一
1900 - 1952
久野収
1910 - 1999