読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで これからの「社会民主主義」を語ろう』(原書 2010, 森本醇訳 みすず書房 2010)語り方を変えてみましょうという誘い

コロナ禍でますます荒廃に拍車がかかりそうな世界のなかで、行動抑制下余裕ができた時間を使って、イギリスの歴史家の最後のメッセージを拝読。筋委縮性側索硬化症(ALS)が進行するなか、口述筆記で書かれたとは思えないほどの眼を見張る先行文献からの引用をちりばめた力強い著作となっている。

混乱期に国家行政ばかりが出張ってくるのはあまり心地よいものではないけれども、サービス一般が民間セクターばかりに頼るようになってしまったことで出てきた弊害を公共センターの立て直しによって除いていかなければならないという本著作のトニー・ジャットの危機感はひしと伝わってきた。また、現在に対する経験したことのない閉塞感についても悲しいくらいに共感できる。

わたしたち欧米で暮らす者は、経済の無限の進展という幻想に包まれて、長い安定の時期を過ごしてきました。しかし、そのすべてが今や過去のものとなりました。予見可能な未来に関して、わたしたちは経済的には深い不安定に陥るでしょう。確実に言えるのは、第二次世界大戦以後のどの時期と比べても、わたしたちは自分たちの共通目標や、環境の健全さや、自分の身の安全などに確信がもてなくなってきている、ということです。わたしたちには、自分の子どもがどんな種類の世界を引き継ぐのか、まるで見当もつきませんし、それが今の自分たちの世界と似ているに違いないと思うほど、自分を欺くこともできないのです。
(第6章 来るべきものの形 「怖れの政治学」p237-238 )

ことさら悲観的にみなくても、先行きに関しては壊滅的な状況といってなんの違和感もない現在の世界。しかし、目を背けているだけでは過ぎ去ってはくれない現実のひずみや不安に、まずは目を向けて、怖れや怒りだけではないことばで語ることができないかどうか考えるようにしていかなくてはならないとトニー・ジャットは主張する。それは大げさなものいいではない分、すんなり耳を傾けることができる。

わたしたちの世論を鍛え直すこと――こそ、変革を現実し始める唯一の現実的な方法だと、わたしには思えるのです。今とは違う語り方をしなければ、わたしたちには違う考え方などできないに決まっています。
(第5章 何をなすべきか? 「世論を鍛え直す」p190 )

今を覆っている語りにうんざりしたなら、違った時代の違った語り方に目を向けて、有効性を再吟味してみる。少なくともある一定の時間をくぐり抜けて残った言説を参照してみる。それで考え方や気のもちようがすこしでも変わったら、動けるうちは自分の身を使って動いてみる。減速を強いられている現在の状況の中で、かつての速度感や空気感との違いを比べてみるだけでも、何かしらの変化は出てくるだろう。世論は変えられなくても、私のどこかは変わるかもしれない。

 

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【付箋箇所】
12, 38, 57, 80, 81, 91, 92, 107, 110, 115, 124, 132, 134, 138, 149, 156, 161, 162, 164, 167, 168, 170, 172, 178, 182, 188, 190, 196, 202, 214, 218, 237, 238, 244, 254

 

目次:
前置き 不安と混乱のさなかにある若者たちへ

第1章 今のわたしたちの生き方
 裕福な個人、浅ましい全体
 感情の頽廃
 アメリカの特殊事情
 経済主義とその不満要素
第2章 失われた社会
 ケインズ主義のコンセンサス
 規制された市場
 共同体と信頼と共通目的
 偉大な社会
第3章 政治の耐えられない軽さ
 六〇年代の皮肉な遺産
 オーストリア人の復讐
 民間礼賛
 民主主義の赤字状態
第4章 さらばすべてのものよ?
 一九八九年と左翼の終焉
 脱共産主義アイロニー
 わたしたちは何を学んだのか?
第5章 何をなすべきか?
 異議申し立て
 世論を鍛え直す
 社会問題を問い直す
 新しい道徳物語?
 わたしたちは何を望むのか?
第6章 来るべきものの形
 グローバリゼーション
 国家を考える
 鉄道——一つのケーススタディ
 恐怖の政治学

結び 社会民主主義——生きている部分、死んだ部分


トニー・ジャット
1948 - 2010
森本醇
1937 -