読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

プラトン『法律』(岩波文庫 全二冊 1993)

プラトン最後の対話篇。70歳代の作品。ソクラテスが登場しない唯一の対話篇でもあり、プラトンの思想を仮託されるのは「アテナイからの客人」になる。クレテ島のある地域に植民を行ないマグネシアという都市国家を建設するにあたり制度設計と法律の制定を具体的にどうしていくべきかということを「アテナイからの客人」のほぼ一人語りという体裁で開陳した作品。紀元前四世紀のギリシアでの国家設立の具体案ということで、今の時代感覚からすると参考にならないことが多く含まれているので、読み進めていくにつれ少し冗長に感じる。またほかの対話篇と比べると、ソクラテスが対話の相手の言説の矛盾や曖昧さを追い詰めていく工程が抜け落ちているため語りの緊迫感がない、当時の感覚からしてみればかなり穏当な提案に終始しているところが少し物足りなくもある。ただ、第十巻で語られる魂を基礎にした宇宙論無神論反駁はとても興味深い記述にみちている。この第十巻と結びの第十二巻を読めるのであれば、最大の対話篇でもある『法律』を現代において手に取る意味もかなりあるのではないかと思う。

第十巻において「アテナイからの客人」は魂を「自分で自分を動かすことのできる動」であり、それは他のものによって動かされるものに先行してあるがゆえに始源にあるものであると述べたうえ、以下のような話につづく。

アテナイからの客人:では、どこにあるのであろうと、動いているものにはすべて魂が宿っていて、これを統轄しているのだとすると、魂は天をも統轄していると言わざるをえないではありませんか。
レイニアス:それはそうですとも。
アテナイからの客人:そうしているのは、一つの魂でしょうか、それとも、多くの魂でしょうか。多くの魂なのです。――わたしの方で、あなた方お二人に代わって答えましょう。とにかく、二つより少なくはないということにしておきましょう。つまり、善いことをなす魂と、それとは反対の状態をつくり出すことのできる魂との二つよりもですね。
(『法律』下巻 P280  第十巻 896E )

この後、秩序をもった最善のものへと導く「知性」をもつ魂を神々と呼び、その反対の状態をつくり出す「無知」な魂と区別して、主に「知性」をもつ神々の側の話を展開させている。 「自分で自分を動かすことのできる動」という始源にあるものの定義から、いつの間にか善悪や秩序無秩序など人間的な判断による特徴が付け加わってしまっているのに疑問は残るのだが、「自分で自分を動かすことのできる動」という始源にあるものの明確な規定には、とてもこころ動かされる。プラトンコスモロジーにじかに触れることができる一冊。もう一冊『ティマイオス』が控えているのだが、こちらは文庫化されていないためなかなかアクセスしづらい対話篇になってしまっている。

www.iwanami.co.jp

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【付箋箇所】
※ステファヌス版全集ページと段落付け対応表記
[上巻]
624A, 644C, 666B, 678C, 679C, 689A, 690C, 709A, 747A, 781A (解説から) P469, 476, 487
[下巻]
790E, 797A, 803C, 828D, 835E, 860D, 896E, 904B, 923A, 966E

 

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