読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ヨネ・ノグチ『詩集 明界と幽界』(原著 Seen and Unseen: or Monologues of a Homeless Snail 1896, 彩流社 対訳詩集 2019)

野口米次郎の第一詩集'Seen and Unseen: or Monologues of a Homeless Snail'は移民渡航後三年目にしてアメリカで現地出版された英語の詩集。日本人の神秘的精神性に興味を持たれたのと、ネイティブが使用しないような言葉や変わった造語を用いたことが新鮮に受け止められて、たいへん評判になり、その後のイェイツやタゴールなどの海外の大詩人とも交流することになる詩人の第一歩として大変鮮やかな印象を残した詩集。後に若き日の永井荷風が渡米する際には、海外の地で詩人としてすでに成功を収めた野口米次郎につづけと鼓舞されたが、そんな大それたことが自分に可能とは思わないと思わしめたほどの存在の大きさが野口米次郎にはあった。今では荷風は読まれても、野口米次郎はなかなか読まれなくなっていて、現代日本においては完全に立場が逆転してしまっている。息子に芸術家のイサム・ノグチがいるにも関わらず、研究対象として文献の整備が行われていないのも、なんだか悲しい。国籍や言語だけでなく家族まで二重であったり、戦時下における好戦的なところもあった言論が戦後に嫌われたこと、戦後まもなく亡くなったことなど、20世紀後半の戦後社会に評価普及しようと力を入れる人に恵まれないところは、自業自得の部分も多そうなのだが、20世紀前半においては間違いなく日本第一の国際派詩人でもあったので、すこし気の毒ではある。

本書は近年の野口米次郎の再評価のなかで出版にまでいたった対訳詩集。英文学者の亀井俊介が主宰した研究会に、野口米次郎やイサム・ノグチとその母などに関心を持つ三人の女性研究者が集まってヨネ・ノグチを読むことで生まれた一冊。英語で書かれた詩集なので、翻訳というかたちでよみがえることが可能になった幸福な詩集。星野文子、堀まどか、羽田美也子のそれぞれが愛情を込めて日本語訳し、全50篇それぞれに解説と鑑賞を付けている。野口自身が自作を翻案翻訳して日本語の詩として発表したものを図書館やネット上の資料などとも比較でき、なかなか複雑な味を堪能することもできる。

異国での不安と孤独のなかで喘ぎつつ詠うまだ無名の21歳の青年と、日本に帰国してのち文化面でのビッグネームとなって活動していた中で40代ではじめて自作翻訳もふくめて日本語の詩も書きはじめた野口米次郎、そして21世紀の世で研究活動を精力的に行いつつあるなかで翻訳詩として新たな生命を込めた中堅の女性研究者たち。それぞれの想いが言葉のなかに埋め込まれていて、違った光を放っているところが面白くもある。

 

「最早なし」の沙漠
(Seen and Unseen 1896, 41. THE DESERT OF 'NO MORE.' 渓流社版『明界と幽界』41. 「無何有」の砂漠)より

【原文】
Listen to the cough of Nature !
After the cough, the Universe is silent again, my soul kissing the ever namelss idol faces of the Universe, as in a holy, heathen temple.

【羽田美也子訳】
自然のしわぶきが聞こえてくる!
そのしわぶきがおさまると、宇宙は再び沈黙し、僕の魂はあたかも神聖なる異教徒の寺院にいるかのように、いくつもの名もない偶像の顔に接吻をする。

【野口米次郎訳】
 誰が自然の咳払ひする声を聞いたか。
 その声静まる時、宇宙再び寂(せき)として無為にかへり、私の魂は異教徒の殿堂に於いてのやうに、この宇宙の名もない様々の偶像を接吻し廻る。
 
批評家の篠田一士が野口米次郎の詩は日本語より英語のほうがよいという解説鑑賞を付けている本があった。時代的なものもあって、日本語の詩的表現が英語よりもぎこちなくなるというところは確かにあったと思うが、英語、そしてアメリカとイギリスでの詩作活動から日本語の詩の世界に導入されたものは、貴重なものではなかったかと思う。そして、いま新たに日本近代黎明期の詩人の活動を再導入するというのも、近視眼的になりがちな日々の生活に別の感覚を呼び込んでくれていることで意味あることではないかと思った。

詩集 明界と幽界 – 彩流社

目次:
1.  私自身に戻る
2.  僕は何処へ行く
3.  恐れを知らない真っ直ぐな雨
4.  月の貴婦人
5.  この世界は確たるものか
6.  サーベルのような鋭い風が吹く
7.  ただ独り
8.  ああ、雨だった!
9.  名もなき詩人に
10. ああ、空しい!
11. 夢見心地
12. 真夜中の庭で
13. 雪白の露を飲むとき
14. 天の窓から滑り出て
15. 僕の詩はどうだろうか
16. 夜
17. わたしの夢をよびもどす
18. 僕の芭蕉の木!
19. やぶれ提灯のよう
20. 詩人はどこに
21. 見えざる夜
22. 私の詩
23. 運命の到来
24. 真実の庭
25. 独り渓谷にて
26. 夢想の海
27. 私は影を楽しむ
28. 大枝を揺さぶる風が吹いている!
29. 僕は独りぼっちか?
30. 孤独な魂
31. その場所へ
32. 孤独の海
33. 変わりゆき、また変化する
34. 子供じみた遊び
35. さざ波は知っている!
36. 聞け、誰の嗚咽だ!
37. 私は影
38. 夢幻郷がとても近く!
39. ああ、そうだったのか?
40. 沈黙は何を語るのか?
41. 「無何有」の世界
42. 6月の夜
43. 永遠なる死
44. 諸相
45. 木々の影
46. 霧に身を潜めて
47. 夜の竪琴がこだまする
48. 夏の痩せた顔
49. かくありたい自分
50. 私の宇宙


野口米次郎
1875 - 1947