読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョルジュ・バタイユ三冊『内的体験』『有罪者』『純然たる幸福』

神学大全として生前刊行された第一巻『内的体験』(1943)、第二巻『有罪者』(1944)と、刊行が予定されていたが未刊に終わった第四巻をバタイユ研究者の酒井健が編集した日本オリジナルの『純然たる幸福』をここ二週間くらいかけてちょこちょこ通して読んでみた。第三巻『ニーチェについて――好運への意志』(1945)はすぐに取り寄せることができず無神学大全の全体像まで見通すには至らなかったが、バタイユの思想の方向性については感じ取ることができたと思う。
神学大全の断章の数々は、有用性を計量する価値体系にまるごと隷属し、人間活動がことごとく労働化してしまう息苦しさから抜け出ようとするこころみであり、方向性としてはヘーゲルの絶対知からニーチェの悦ばしき知識へ、労働から浪費へ、純粋消費の舞踏へ、企てから賭けへの跳躍となっている。
自縄自縛になっている自己を笑い解きほぐすこと、死を笑い宇宙と合一すること、主体と対象の境を脱落させありきたりの意味関連を超えた交流(コミュニカシオン)を走らせること、バタイユが目指すのは地上に張りつかない反重力の思想である。

「自然」に対立しつつ、人間の生は超越的なものとなった。そして人間の生ならぬものすべてを空虚へと委ねた。それと引き換えに、もしこの生が、圧制のなかに生を引きとどめていた権威を投げ棄てて、それ自身至高のものとなるならば、空虚へ向かっての目くるめく運動を麻痺させる各種の絆から、みずからを解き放つことになるであろう。
(『内的体験』第三部「刑苦の前歴」p188 )

至高のものへ己を解き放つ手段としてバタイユが用いるのは瞑想、供犠、ポエジー、エロティシズムによる恍惚、法悦、笑いである。小市民的価値観に真っ向から反する非理性的で痙攣的な行為、有用性からは外れる「内的経験」である。この、予測可能なものから不可能なものへ、知識から非知への自己投入は、バタイユにおいては、一種悲劇的な相、自己処罰の重さを見せている。これが、体制の息苦しさから抜け出すために、あえて別種のより激しい息苦しさに身を投じている印象を与えている。至高のものに参入するとともに非共同体的な荒野に投げ出されたような印象は、聖性を帯びているが、どこか痛ましさが優ってしまっている。それが、バタイユの思想が刺激的であっても、容易に摸倣しようとは思わない要因となっている。また、エロティシズムへの過剰な耽溺や、秘密結社での秘儀への没入など、体質的になかなか同調しがたいものがはじめからあって、同じ道を辿ることを望まない一読者としては、バタイユを読んだその後にどうすればいいのだろうかと余計な迷いも起こってくる。
バタイユの思想実践は、バタイユ自身が言及しているインド的なヨーガの思想実践に類似しているところがあり、またエロティシズムを抜きにすれば、東洋的な禅僧の思想実践にも類似しているようにも思える。己を供犠として捧げ祭りつつ、己を自由かつ必然的に更新しながら、生を蕩尽する。空虚でありながら充足した気息と言葉の持続連動をものにする。バタイユニーチェ以外でオマージュを捧げているのは、パウル・クレーモーリス・ブランショルネ・シャールピカソダ・ヴィンチ、エミリ・ブロンテといったところで、彼等彼女等のポエジーを参照しながら、ヨーガや禅の思想とも比較しつつバタイユを読みすすめていくのが、とりあえず今取れる選択なのではないかと思った。

(来たれ、呵々大笑)

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【付箋箇所】

『内的体験』(原著 1943, 出口裕弘訳 平凡社ライブラリー 1998)
34, 38, 43, 63, 64, 68, 78, 94, 105, 108, 115, 129, 145, 150, 160, 162, 188, 191, 202, 203, 208, 211, 250, 252, 256, 306, 320, 321, 373, 389, 399, 402, 408, 409, 413, 416, 417, 468

『有罪者』(原著 1943, 江澤健一郎訳 河出文庫 2017)
33, 48, 49, 70, 83, 147, 150, 166, 171, 174, 176, 183, 188, 189, 202, 212, 246, 253, 255, 256, 264, 269, 306, 313, 315, 320, 332, 389, 390, 394, 403, 409, 413, 460, 467, 469, 480, 491, 496

『純然たる幸福』(酒井健編訳 ちくま学芸文庫 2009)
21, 28, 32, 53, 80, 83, 92, 96, 99, 106, 119, 185, 197, 207, 234, 244, 246, 250, 261, 264, 271, 316, 322, 369, 378, 385, 389, 396, 399, 403


ジョルジュ・バタイユ
1897 - 1962
出口裕弘
1928 - 2015
江澤健一郎
1967 -
酒井健
1954 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com